[留学後]中年式就職活動

Photo by Tim Mossholder on Pexels.com

 このサイトは今のところ数名が体験記を寄せる場所にセットしてあるのだが、「書く作業」というのは根気の要るもので、なかなか他のメンバーの動きが伝えられておらず、忸怩たる思いを抱いている。もちろん、それぞれに学業に仕事にと忙しく、まとまった時間をとれるのは僕くらいのものなので、仕方ないといえば仕方ない。しかし、ここ2ヶ月余りは僕自身も執筆が途絶えていた。

 その理由については推測のしようもないとは思うが、簡単に言えば、別の場所に体力を削がれていたのだ。別の場所とは、就職活動だ。

 中年読者にはお分かりだろうと思うが、中年の就職、転職活動はどこの国でも難しい。特に、エイハラの激しい日本という国では、まず年齢で切られてしまう。たとえどれだけ条件を満たしていて、提示されている条件を呑んでも、だ。この辺に関する人事の心理は不明だが、色々と応募する中で、横暴な年齢による切り捨てを感じるようになった。何しろ、向こうから声をかけてきた人材会社が、いざ返事をしてみると「企業が色々顧慮した」とお詫びのメールまでよこす有様なのだ。

 だが、この世の中、別に企業が偉いわけでもなんでもないし、正社員が立派な訳でもない。本来社会の為にあるはずの企業を、主観的かつ狭窄で勝手な自分都合な論理でやりたい放題にしているのが今の企業人事の大半なのだから、逆にその趣味が合う場所を探せばいいということなのだ。だが、就職が婚姻に例えられるように、相性の良い企業などそうそう簡単に見つかるわけでもない。Twitterには転職してから後悔した例が五万十万十一万と溢れているし、無茶苦茶負荷をかけられている部門ワンオペな職員や、堂々と月給15万などと、労基法大丈夫なのかと問いかけたい企業が、それこそ山のようにある。それはもちろん学校でもそうで、指導教官を選び間違えた大学院生など、目にも当てられぬ入院生活が待っているものだ。実際にその例はかなりの教官から聞いているので、悲惨な学生も多いのだろう。

 さて、仕事を探し始めると本当にそんな感じだったので、これはどうしたものかと数日考えた。そして末に導き出したのは、「ビールジョッキ作戦」だった。

 実際の職探しは割とゆっくりやっていた。というのも、学校の授業でてんてこ舞いだったからだ。しかし、学校の方を切ろうか切るまいかの判断が進んでくると、さらに貯蓄の額が減ってくるのを目の当たりにすると、この「目減りしたジョッキ内のビールをどこから仕入れて満杯にするか」という頭が動き出した。つまり、正社員とかがどうとかではなく、目標額を設定して、いかにその水面までビールを注ぐことができるかの方を重視し始めたのだ。ここでブランドにこだわっている場合ではないと気づいたのだ。ちなみに、「ブランド」は別の言葉にすると「正規雇用」ということになる。

 さて、そのジョッキが満杯状態は過去の年収レベル、ということになるのだが、今の状況やキャリアなど考えていなかった僕にはそこまでは無理なので、僕はその満杯を過去最高時の半額くらいに設定した。そして、Indeedで流れてくる求人に色々と応募してみた。

 しかしまあ、そこで呆れたのは、日本企業は条件ぴったりのものでさえ「お祈り札」しか送ってこないという点だった。返答してきたのは、大体が中国系、まあ僕の場合は中国語ができるので、そこは最初にクリアすべき関門であるとはいえ、日本の場合は中国語の講師職でさえ「お祈り札」しかこなかったので(今ではその辺は「授与所(神社でお守りやお札を売っているあの建物のことをいう)」と呼んでいるのだが)、まあ、その辺の事情は節操もなく、「あ、日本はこうだよな。他の国なら年齢とか何とか関係なくていいな」と受け入れることにした。もちろん、そこは個人事業主になるので、色々と面倒な手続きはあるのだが。

 すると、つきものが取れたように事態が前進した。

 日本の企業も面接には進んだのだが、物によっては面接で次は次はと言いつつ返事をしてこないところや、面接時間にログインしてこないところなど、トンデモな企業が多かった(とりあえず名前を聞いたことのある場所だったのだが)。中には、「もっと自由になりませんか」と言ったら引っ込んだ会社も一社あった。が、中国系は先に進んだ。どれもこれも社長が出てきて、九割の打率で決まっていった(会社によっては、毎日連続で次の面接に進み、五次面接までやって、面接にかかった時間は三時間にもなった)。九割というのは、要は、僕がジョッキが空いている限り、その空間にビールを注いでいったからだ。職種は全て在宅だったので、それを理由に注げるだけビールを注いでいく日々がしばらく続く。最終的には、時間分配的に不味いなという感触を得た時点で作業を停止し、契約のまとめに入っていった。

 ビールは目標レベルまで注ぐことができた。これは途中で発想を逆転させたことが大きいと思う。ただ、契約数は7−8社になった。これはかなり細かい仕事も契約をする必要があったからだ。更に、10月までは夜にセキュ塾が入っているので、そっちも両立(正確には10立とかそんな感じ)できるようなスケジュールを組む必要があり、そこには結構苦労したと感じている。

 しかし、最終的にはどちらも社長との相性が問題になった。下っ端のHRに切られるのは、要は担当窓口にいるのが他人の経歴を形式でしか理解できない若者ばかりだからなのだ。そんなHRに会社の戦略である生産力の確保を任せている会社などに入る必要はサラサラない。相性の良い会社に入るのが、この歳になるともっと重要になってくる。その意味で、僕は各社とも社長と話をして、最後はお互いが話し合いながら仕事のできる環境を手に入れることができている。ビールもなみなみと注ぐことができた。これで新たな学びも続けられる。

 ここにきて思い出すのは、当時鄧小平が言った「白猫でも黄猫でも、ネズミを捕まえてくるのがいい猫だ」という言葉だろうか。僕は、まともに話ができる会社を捕まえることを優先し、それが実践できたと考えている。

 今50歳を過ぎている読者の皆さんも、また、若い皆さんも、是非形式に拘らず、人生のジョッキを自分で満杯にしていく方にシフトして頂きたい。そして、どこかで不都合が生じたら、次の酒を探してもいいのだ。自分の人生の味は、自分にしか決めることができないのだから。

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