几周前身体上长了些玫瑰糠疹,刚开始只是在左手臂,后来蔓延到肩膀后背。医生说这是良性的疹子,可以自愈的。起疹子的原因貌似是和免疫系统的反应有关。我不清楚是之前打HPV疫苗导致的,还是两个月前得的新冠肺炎。
数週間前、体にバラ色粃糠疹ができ、最初は左腕だけだったのが、肩の後ろ側まで広がった。 医師は、良性の発疹で自然に治ると言った。発疹が出る理由は、免疫系の反応と関係があるそうなのだが、それが以前受けたHPVワクチンが原因とするものなのか、それとも2ヶ月前に罹った新型コロナ肺炎が原因なのか、その辺はよくわからない。
今年七月,我突然有一个晚上觉得疲惫乏力,身体酸痛,很快出现了低烧的症状。紧接着,我就因为重感冒在家里待了好几天没出门,也没有状态去学习和工作。我的症状和重感冒差不多,头痛、鼻塞和咳嗽。前两晚鼻塞严重到难以入睡,我才去买扑热息痛吃。但无论我吃多少扑热息痛,我的状况一点都没有缓解,但我没有把这个不寻常的点放在心上。就这样在家里躺了好几天。过了六天左右,我终于康复得差不多了,准备好回归我之前的生活状态。可也就是那个心情愉悦整装待发的早晨,我发现我吃的肉没有了香气,只能从嘴巴里感受到咸味。心里逐渐升起了些困惑和猜测,然后我拿起香水开始检测自己的猜想。不管我喷多少下香水,猛地吸多少口气,我什么都闻不到。
今年7月のある日のことだった。その晩、私は急に体がだるくなり、そこら中が痛くなり、続けてすぐに微熱症状が出た。それからの数日は、私はひどい風邪で家にこもることになり、勉強も仕事もできる状態ではなくなっていた。症状は、頭痛、鼻づまり、咳、と、きつい風邪に似たものだった。最初の2晩は鼻づまりがひどくて、ほとんど眠れなかったことから、薬局で薬を買って飲んでいたものの、いくら飲んでも病状は一向に楽にならない中、この「微妙なタイミング」には気も回らないまま、自宅で何日も横になっていた。6日ほどした頃だろうか、ようやくほぼほぼ快復し、以前のような生活に戻れるな、と思い始めたある朝、そんな幸せな気分で準備をしていると、肉を食べても香りを感じず、口の中には塩味しかいないことに気づいた。混乱と推測が入り混じる中、私は今度は香水を手に取り、疑惑を検証し始めた。果たして、香水を何度吹きかけても、強く息を吸い込んでも、何も匂わなかった。
虽然我心里已经有了答案,但我还是立即出门去了最近的新冠检测点做PCR检测。那是在医院园区里搭建的简单的帐篷,外面和里面都有些陈旧了。这个检测点是每一天都会向公众开放的。大家无需预约,直接去就可以。包括我在内,等待检测的人有两个,而医务工作人员有三个。她们记录了我的基本信息后就拿出棉签开始在我的喉咙和鼻孔里擦拭。疫情已经持续了两年有余,这样的检测我还是第一次做。工作人员告诉我回去等手机短信通知,一般24小时以内就可以收到。整个过程非常迅速快捷。
自分の中では答えが出ていたものの、すぐに最寄りのコロナウイルス検査会場へ出かけ、PCR検査を受けることにした。そこは病院の敷地内に設置された簡易テントで、外も中もちょっと古びた感じの場所だった。そこは毎日開放されており、予約の必要もなく、ウォークインでいける場所になっていた。検査待ちの人は私を含めて2人、医療スタッフは3人。 簡単な問診の後、綿棒を取り出し、私の喉や鼻の穴の粘膜を拭っておしまいだ。こんな状況になって2年以上経過していながら、私にとってはこの検査を受けるのは初めての体験だった。スタッフは、通常24時間以内に携帯電話にメッセージ通知がくるので、家に戻って待っているようにと、言う。 ここまでの流れはとてもスピーディで、あっさりしたものだった。



晚上的时候我就收到了短信通知,我真的中招了。处于安全的考虑,我又在家里隔离了好几天。虽然心里早有答案,但还是花了好些时间去接受被新冠追上的事实。我本以为自己会是幸运儿。但也不是真的认为自己是幸运儿,当入境澳洲的人无需隔离的时候 ,我就知道大家是迟早会被感染,不是今年,就是明年。我只是没想到这么快就轮到我了。越来越多的国家政府对新冠逐渐放松,逐渐地把它当成了流感。青壮年里新冠死亡率最低,他们通常被认为是最能抵抗病毒的。但也有一些不幸的青壮年成为了这一分数中的分子。我在家隔离的时候,一个好友和我说她的一个在东南亚工作的学长也得了新冠。这位不到30岁的男性确诊的当晚就进了ICU,无法自主呼吸后用上了呼吸机,照出来的胸片已经大面积变白。
その夜には通知が来た。本当に「あたり(陽性)」だった。私は安全のため、そこからさらに数日間、自宅で隔離生活を送った。自分の中で答えは出ていたものの、コロナにかかったことを認めることには少々時間がかかった。それまで、私は幸運な一人だと思っていたからかも知れない。とは言っても、別に本当に自分が幸運の持ち主だと思っていたわけではなく、オーストラリアに入国する人たちが隔離される必要がなくなった時点で、今年か、それとも来年か、感染するのは時間の問題だと思っていた。ただ、こんなに早く自分の番が巡ってくるとは思っていなかっただけだ。対策を緩和する国や政府も増え、徐々にインフルエンザと同様の扱いになってきている。そして、若年層はコロナによる死亡率が最も低く、通常、ウイルスに対して最も抵抗力があるとされてもいる。が、残念な結果になった若者も確かに世界中に存在している。私が家にこもっていた数日間、親しい友人から、彼女の先輩(東南アジアで仕事をしている)もコロナに罹ったと聞かされていた。その30歳に満たないという先輩(男性)は、診断された夜にはICUに入院、自力で呼吸ができなくなって人工呼吸器を装着され、その時撮った胸部レントゲンは肺が広範囲で真っ白になっていたという。
我写这篇文章的时候,我发现这个检测点早已关闭了。目前只有少数几个诊所可以做PCR检测。大街上带口罩的人也越来越少,只有寥寥几个。我有一个即将退休的老师,刚开始她会在讲台上站着的时候不带口罩,只有走下讲台的时候把口罩戴上。一节课里,她会反复地脱下口罩后又戴上口罩。但最近这几周,她已经彻底放弃戴口罩了,哪怕是凑近和学生说话的时候。政府和学校等机构早已没有强制戴口罩和保持社交距离的政策了。佩戴口罩完全靠个人意愿。大家的生活仿佛都回到了疫情之前。
本文を書いている今見直してみると、私が行った検査施設はとっくに閉鎖されているようだった。今、PCR検査ができるクリニックは、ほんの一握りしかない。 そして、街中でマスクをしている人も少なくなっており、数える程しかいない。私が履修している授業のもうすぐ退官される先生も、教壇に立つ時はマスクを外し、教壇を下りるてからやっとマスクをつけるような有様だ。さらに、この先生、最近までは授業中に何度もマスクを取っては付け直すということを繰り返していたのだが、ここ数週間というもの、生徒と話すときでさえマスクをつけるのをやめてしまった。政府や学校などの機関でも、マスク着用やソーシャルディスタンスを義務付ける方針を強制しなくなっており、マスクの着用は、完全に個人の自由に任せられ、みんな、まるでコロナ前に戻ってしまったかのような生活をするようになっている。
虽然身边越来越多不在乎新冠的人, 但我在中国的社交媒体上还是会看到不少誓死不躺平的人。我个人也是担忧的成分居多,大多数时候还是会带口罩的。虽然我知道这不会是我最后一次得新冠,但我只想做些力所能及的事情减少我得新冠的次数。
コロナを気にしない人が増えているものの、中国のSNSではなおコロナ対策に一生懸命な人を多く見かける。 私個人は心配な気持ちの方が強く、今でもほとんどの時間マスクをしている。これで今後かからないと思っている訳ではないが、今後罹患する回数を減らすためにも、できることを続けていきたいと思っている。
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