我在黄金海岸的两年半之“在异国交友”

Photo by Min An on Pexels.com

  来到一个陌生的国家展开独居的生活,对我来说是个巨大的转变。我觉得我到现在也没有完完全全真正地适应。在此之前我生活在一个相对严苛的环境里。我在寄宿学校度过了漫长的中学生活,只有在假期的时候才会回家和父母同住。父母喜欢我多待在家里,不要总是出门,因此零花钱给得特别少。久而久之我习惯了把自己锁在房间里。有时候会连着好几天,只在吃饭的时候才从房间里出来。现在回忆起那座我度过了人生大部分时间的城市,我发现其实我有很多地方没去过。

  2019年来到黄金海岸后,我独自居住在一居室的公寓里。那个时候跡见san也住在这栋公寓楼里,因此我们的联系才比较多。突如其来的自由和更多可支配的金钱,让我一下子进入了狂欢的状态。我那个时候花了不少钱在外面吃饭还有在购物上。这都是之前没能力做的事。一开始我心思比较单纯,急于交到朋友,所以对稍微熟一点的人都会无保留地透露自己的心声。为了融入新环境,我到处结识不同的人,隔三差五就去参加聚会。那个时候我在校园里走一圈就会遇到好几个认识的人,然后停下来和他们寒暄。这种氛围让我产生了一种“我已经融入了新环境”的错觉。

  其实很多初来乍到的留学生都会在离开父母后尝试各种各样之前不敢做的事情,比如在外过夜、酗酒、抽烟、去夜店等等。我认识的人里有个别人去尝试了大麻。学校里可能已经有不少学生碰过毒品,或者甚至本身就是毒贩。吸食某些种类的毒品在一些西方国家和地区是不违法的,但不触碰毒品是我的底线。不违法不代表其存在是合理的。其实吃屎也不违法。

  直到2019年年底我才逐渐平静下来。因为我挂科了。在法学院的第一学期,四门课里有两门课没有及格。我心灰意冷,并开始审视自己的生活。我为了应付社交花了不少的时间和金钱,在学习上的注意力根本不够。我只是在追求一个数字,也就是能在路上和我打招呼的人数。我并不是因为欣赏对方的某些品质而与人结交,很多人和我并不是一路人,根本没多少共同语言。我只是在没话找话,没事找事而已。我厌恶了这种不自然、令人疲惫的社交方式,我在这上面的付出和我获得的完全不成正比。因此,我在年底的时候下定决心一改往日的生活。我摆脱了不自然的交友方式,把更多的注意力放在学习和起居上,让自己的居住环境更加宜居,并开始注重饮食和作息。未曾想到,后来新冠疫情爆发,很多留学生回到了自己的国家。校园不再热闹,活动也少了很多。我大多数时间都待在屋子里,只和少数几个人偶尔见面。我居住的社区是安静偏僻的地方,离热闹的市中心有些距离。从此我好像成为了一个孤岛,远离人群,独来独往,不与任何人有深刻的联结。好在我也很注重自己的心理健康,总体上来说无论身心都很健康。

  校园里冷落的情况直到2022年澳洲允许留学生入境后才缓解。但我的社交方式没什么变化,依然是顺其自然。顺其自然的最终结果就是不认识几个朋友。不过我现在已经不太关心这些了。学业和就业的问题更让我牵挂。我觉得来澳洲求学或工作的人都应该做好这样的心理准备,就是这里可能不如自己的国家更容易认识伙伴或恋人。

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異国での「おともだち」。

 見知らぬ国に来て一人暮らしを始めることは、私にとって大きな転機だった。 正直なところを言えば、今の今になっても、本当の意味では完全に落ち着いたとは言えないのかも知れないが。

渡豪以前、私は比較的厳格に管理された環境で生活していた。私は長い中学生活を寄宿制の学校で過ごし、休みの時だけ実家に帰るような生活を送っていた。親は親で、私が外出ばかりせず、より多くの時間を家にいることを望んでいたので、お小遣いも無茶無茶少なかった。そんな生活を続けていたせいで、部屋に引きこもることにも慣れ、時には、何日も、食事の時だけ部屋から出てくるような生活をしていた。なので、今、これまでの人生の大半を過ごしたあの街を思い出してみると、実は行ったことのない場所がたくさんあることに気づかされる。

2019年にゴールドコーストに来たときは、1ベッドルームのフラットで一人暮らしをしていた。当時、跡見さんも同じマンションの隣の建物に住んでいたので、今日につながる接点があった。だが、そうして突然の自由な時空と自由に遣えるお金が増えたことで、私は一気にタガが外れてしまい、外食やショッピングに大量のお金が消えていった。これは、そうした行為が今までの自分にはできないことばかりだったからかも知れない。最初の頃は、単純に友達を沢山作りたかったので、知りあったばかりの人にも自分の心の内を隠すことなく明かしていた。そして、新しい環境に溶け込むために、いろいろな人に会ったり、パーティーに出たりしていたせいで、キャンパス内を歩いていると、何人もの知り合いに出会い、立ち止まっては歓談するようになっていた。今考えれば、こういう雰囲気が、「私は新しい環境に馴染んでいるのだ」と私に錯覚を起こさせていたのだろうと思う。

 初めて留学にくる学生の多くは、夜遊び、飲酒、喫煙、クラブ通いなど、親元を離れてから、それまでは触る勇気のなかったことにも実際に手を出すようになる。 知り合いの中には、大麻に手を出した人もいた。多分、学校の中には、すでに薬物にハマっている学生や、下手をすると自らも売人をしている学生がたくさんいたのだろうと思う。欧米の国や地域では違法ではない種類の薬物も確かにあるのだが、「薬物に手を出さない」というのは、私の中での線引きでもあった。違法でないからといって、その存在が正当化されるわけではないからだ。極端な言い方かも知れないが、💩を食べるのだって別に違法ではないではないわけで。

 徐々に落ち着いてきたのは、2019年の年末からだった。授業で大ヘマをした。ロースクールの最初の学期、私は4つの科目のうち2つを落としてしまったのだ。私はその事実に打ちのめされて意気消沈し、自分の人生を見つめ直すようになった。社交に多くの時間とお金を費やしていた私は、逆に勉強に十分な精力を費してこなかった。私はただただ、通りすがりで挨拶をしてくれる人数という数字を追いかけていただけだったのだ。当時の私は、相手の中身に共感して仲良くなったわけでもなかった。多くの人は私と気が合わないだけでなく、共通点も全くなかった。その中で、私は無理矢理話題を作って、無理矢理接触を増やしていただけだったのだ。私は、精神的なギブアンドテイクが全く比例しない、不自然でやたら疲れるこうした人付き合いの方法にうんざりするようになり、年末にこれまでの生活を変える決意をした。不自然な交友を止め、勉強や生活に精力を注ぎ、生活環境を改善し、食事や日常生活への配慮にも力を入れるようになって行った。

 思いがけず、その後、新型コロナウイルス感染症の流行が始まり、多くの留学生が母国に帰った。キャンパスに活気はなくなり、イベントもかなり少なくなった。 私もほとんど家の中で過ごすようになり、友人たちとはと言えば、本当にごくたまに会う程度になっていた。私が住んでいた地域は、賑やかな市街地から少し離れた、静かで人里離れたところだったので、それ以来、私は人から離れた、孤独な、誰とも深くつながっていない孤島のような存在、そう、誰とも深い付き合いのないボッチになったのだ。とはいえ、私自身は精神的な健康にも気をつけていたので、心身ともにおおむね健康な状態を保っていた。

 キャンパスの寒さが和らぐのは、その後、2022年に入り、オーストラリアが留学生の入国を認めるようになってからのことだ。でも、私自身の人付き合いの仕方は何も変わらず、流れに身を任せている。流れに身を任せた結果は、知り合いが少なくなっているのだけど、正直そんなことはどうでも良くなっている。そんなことよりも今は、勉強や就職の方がもっと気になっている。

 オーストラリアに留学や仕事をしに来るならば、自分の国にいる時のようには友達や恋人に簡単に出会えないかもしれない。この点は覚悟しておいた方がいい、と私は今になって思っている。

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