[経過報告]帰国、丸1年。

Photo by Alex Knight on Pexels.com

 1月5日、日本に帰国して丸1年が経った。

何かが変わったかと言うと、意外とそうでもなくて、やっていることは変わらないし、・・・いや、より激しく血じゃなくて知を求めるようになったと言っても良いと思う。

良いこと悪いこともある。

良いことは、日本に帰ってきたことで、初期の1年程で感じていた不足を埋める機会が得られたこと、そして、オンライン社会の生活に馴染んできたことだろう。

悪いことは、できかけた友人などとの関係が途切れてしまい、更には学びが横に逸れてしまって本来の計画から溢れてしまっていることが挙げられる。

少しずつ解きほぐしていこう。

良いことである「不足を埋める」と言う作用については、これまでも何度も書いてきたが、ITに関する基礎力の無かったことへのソリューションを見つけ、その道に進めたことにある。僕が最初に授業を受け始めた頃、どうしても克服できなかったことは、「ITの語感が全くなく、先生の言っている言葉の裏がわからない」と言う点が一番顕著な壁として目の前に立ちはだかっていたのだが、これは日本で日本語の関連コースを受けることで、少しずつ氷解している。常識としてわからなければ話にならない部分が、やっと頭に入ってきているのだ。今考えれば驚くべきことなのだが、僕はセキュリティを学ぶ為の基礎であるネットワークの知識もITの基礎的用語も何も知らずに、全部英語のその領域に踏み込んでいたのだ。今から考えると、進路の是非は別にしても、無謀としか言いようがない行動だった。

もちろん、そんなポンコツを沢山集めて金をとっている大学院も大学院で、何も基礎を教えないで、いきなり専門科目に叩き込むのだから、いい成績など取りようもない(結果は良かったのだけど、逆にそのギャップについての不可解さが残った)。その理解不能な塊を抱えたまま、僕は日本でも同じような授業を受け始め、更にわからなくなったので、「日本にはないのか」と探したところが、日本で唯一ゼロからセキュリティ技術者を育成するセキュ塾だった。

陰陽説で考えるならば、陰(いわば物質的基礎・僕にとってはITの基礎概念+英語)がないままに、陽(発展領域での応用・英語で学ぶセキュリティ)ばかりを増強しようとしていたわけで、これは自然と陽亢と呼ばれる不健康な状況を生む一途を辿っていたわけだ。言い換えれば、薪もないのに火ばかりを盛り立てていたわけで、これでは一瞬で生命も絶えてしまう(訳のわからないままに授業の中で自滅してしまう)わけだ。もしこれが仮にも英語が抜群にできたり、ITの基礎知識があったなら、その火の盛りも抑えられたろうが、僕にはその両方が無かったのだ。

今は少しずつ陰の部分が増強されてきており、仮にも少しは先生の話を理解できるようになってきている。そして、もっと知りたいという欲すら生まれてきている。

そして、オンラインで学ぶ学生として、研究科の運営にも加わるようになっているし、学生クラブにも参加するようになっている。これは、どうやっても取り返したい気持ちの表れなのだろう。ポジティブな方向で働いていると思うので、これ自体は良かったことに入れてもいいと思っている。

悪いことは、その裏返しで、友人ができていないことが挙げられるだろう。

 なにしろ、教室で会う機会がないのだ。そして、グループワークも無くなった。そうなると、対話の機会など生まれようもなく、新しい友人など、宇宙人に会うより確率は低い。留学費用に含まれている交友費は、ここでは無駄な消費に変わってしまう。不合理なことに、豪州の学費はそれでもなお日本より2−3倍高く、外人割り増しもあるのだ。ということは、外人割増の会費を払いつつ、会員の優待措置を何も提供されていないということになる。これを続けることは、ただの篤志家になってしまう。僕はそこまでアホではないし、豪州に入れ込んでいるわけでもない。それがおそらく一番の不満の根源になった。

 そして、まさに2年目の初日に、僕は別のことを始める、まさに方針変更の決断を下すことになる。

 その中身は、この先一ヶ月ほどで色々と書き記していきたい。ある意味、本ブログの本編第二部の最終章となるだけに、整理にも時間を頂きたく思う。

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