
年齢には関係ないと思うが、若い時の大学選びは滅多に具体的な考えがあるわけではない。年齢を経れば、それなりの目的はできるが、学校などというものは最低一学期は経(味)験(見)をしなければ、反りが合うかどうかなど分からない。そこで大人しく入った学校のカリキュラムをこなす奴がいてもいいし、僕のように転校してしまう奴がいてもいい。日本にいたら「大学を転校する」ことは考えられなかったかも知れないが(そう考えるとなぜできなかったのか不思議だが)、商品なのだと思えば、返品も交換も買い直しもあっていいということになる。使いにくかったら辞めればいいし、そこでいい先生に会えたら続ける手もあるし、そこでしか学べない科目があるから残るという人もあると思う。中年以降になり、学歴とかが既にある場合、別に好きな科目を勉強するだけのことだ。まあ、ハーバードとかに行って、看板が欲しくて辞められないという人もいるのかも知れない。ビジネススクールに通う強欲な学生は、また別のモチベーションもあろう。
何度か書いてきたが、当初ボンド大学に入った僕は、「日本人対象の奨学金」受給資格を貰えず、ムカついたので辞めた。グリフィスも、学校都合で開講科目を減らされて卒業計画が狂い(485ビザの申請ができなくなってしまった)、抗議しても聞き入れられんかったので辞めた。そこからUSCに行こうとしたら今度は研究所を閉鎖され、学校は学校でクソ対応だったので、とりあえずオファーを先延ばししたが、来年は専攻が消えるらしく、恐らく戻る場所はない。と、これまで学校の身勝手さと豪州的な「融通の利かなさ」を嫌というほど味わってきた。今では新しい学校に落ち着こうとしているが、それも最初の科目・学期を終えてみて、前より手厳しい以外は学校の対応には満足できている。世界ランクとか関係なく、興味の持てる内容を講義してくれているので、多分続くのではないかと思っているし、学業の厳しさの存在は然るべきだと思っている。入学前の亀レスと比べると、入学後の問い合わせレスは速いので、これもこれでいいと思う。トンデモな授業を受けて、学部変更もしたが、恐らくそれは正しかったはずだ。さらに、オンライン部の学生会にも入ってしまったので、しばらくはトロトロと続けなくてはならないというか、オンラインならではの学生らとの絡みにはちょっとした期待も生まれている。
自分以外はというと、ボンドで英語コースで同級で僕と一緒にグリフィスに移った女学生がいた。今もグリフィスにいるが、一番まずい時期に日本に帰国してしまっており、現地学生との交流もなく、インスタには渋谷や原宿で遊んでいる現実逃避な様子しか上がっていないので、恐らくそのうち消えると思われる。そして、ビジネスコースに進んでいた男子学生は去年の上半期に既に東南アジアか何処かに消えた。曰く「この学校に向いてない」のだそうだ。どう言って親を説得したのか知らないが、まあ資金供給が続くならいいのだろう。マナは別の学校なので授業のレベルは分からないが、こちらは大したものでもうすぐ卒業すると言っている。そんな流れを見てきた最近、再び身辺で転校者がでた。相談されれれば「好きな方に行け」という僕の危険な囁きを素直に受け入れた学生が、別の州の学校に転校したのだ。ネットのイベントで知り合ったその学生は、親の偏った願いを一身に受け、抑圧された環境で自分に向かない専攻で勉強していたことが、そもそもの原因だ。
彼は元々今の専攻が嫌いで、兼ねてから度重なるFAILなどに苦しんでいた。しかし、親はその分野で永住資格をとって欲しいらしく、ぶつかったままのようだ。しかし、彼は自らの力を振り絞って人生の舵を切った。転校を決めた彼は、即座に手続きを始め、オファーをゲットし、既に履修登録まで終えてしまっているようだ。これは信念の力であり、褒められはしても潰されるべきではないだろう。彼は多分初めて自分の人生を自分の手で修正したのだ。僕はこの50年、そんなことができる奴を見たことがない。そして、「行けるところまで行ってみる」という。彼には心からエールを送りたい。もちろん、メリットもある。それは、比較的都会にある今の学校の学費と転校先の学費がかなり違うということだ。これは様々な意味でのメリットになると思われる。軍資金の貯金ができるからだ。苦あれば楽ありとでもいうべきか。
幸い、これもRPLに関する投稿で書いたが、同一基準でデザインされた科目については単位移行が可能なので、共通科目(名称でも内容でも)があれば、その分は無駄にはならない。これは実験済みだ。なのでとりあえず財布には優しい。というか元々がとんでもない金額なので(一学期の学費が日本の一年分のような国だ)、これは当然と言えば当然の話で、そうでないと逆に困る。
一方で、諦めて帰国してしまう学生もいる。国境が開かなくて、諦めて他の国へ行く学生もいる。僕も、アメリカやイギリス、タイやフィリピンまで調べたのだが、数学的基礎のないままに入学できる学校に出会うことは難しかった。中年まで数学を触らずにきて、いきなり離散数学だの線形代数学だのをやるのはキツい。否、やればできるのかも知れないが、現状から数学をスタートするのはキツすぎる。あと10年若かったらできたかも知れないし、やったと思うが、今では体力的にキツい。そして、人生というものはうまくできたもので、恐らくここまできたからわかったこともあるだろうし、この結論は10年前にはなかったのだろう。更に、今更な感はあるが、コロナがなければ、恐らく今は日本にもいなかっただろうし、このサイトも全く違う内容を書いていただろう。更に更に掘り下げるなら、様々なタイミングが重なり、これを読んでいる貴方とこうして出会ってもいるのだから、今いる場所は然るべくしている場所なのだと思う。なので、どの選択にもとりあえず後悔はない。
東京はここ数日軒並み1000人を超える感染者が出ている。オリンピックもザハに森にバッハに小山田にとスキャンダル続きで、あろうことか日本の存在感そのものがそのものがネガティブ化している。10年前には考えられなかった規模で刻々と動いていく状況の中で、次のステージはどうなるのかは誰にも読めない。その中では、転校などは取るに足らないことだし、これまで経験していないこばかりなので、そのまま「経験値」をあげるノリで大いに楽しむつもりでいる。同時に、転校した元同級生や顔見知りの学生らにも、そのさざなみを楽しんでもらいたい。彼らの歳ではビッグウェーブかも知れないが、歳をとればいずれはどれもがさざなみであったことに気づくだろう。
人生はさざなみのぶつかり合いで変化を見せる予測不能かつ実は決められた運命の波間を、更に新たな波紋を作りながら歩くような旅のプロセスだ。少し高いところから、重なりあう水面の模様を愛でるくらいの余裕は持ちたいものだ。そして、その波紋が、拙文をお読みの貴方の人生のグラフィティ(落書き)の一色になることを想像しながら、僕はこの先も足先をバタバタさせていきたい。
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