
日曜は昼過ぎからブリスベンにふらりと出かけた。
用事は「学内の友人とコーヒーを飲むため」だったので、ちょうど八王子から品川まで友人に会いに出かけるような感覚だろうか。
友人はこちらに来てから知り合った中国人で、、こちらで教壇に立っている。たまたま今日はブリスベンに来ているというので、出かけて来たというわけだ。そこでよくよく話を聞くと、こちらに来てから結構順調に歩みを進めているようで、なんだか羨ましい存在であることがわかった。
中国で大学を卒業し、こちらで大学院に進み、それも全額奨学金で勉強したという。そして、出願した時点では豪州の有名教授が指導教官になるはずが、こちらに来たらちょうどその教授が引退のタイミングで、代わりに米国からとても有名な教授が赴任して来て、その門下で学んだのだという。当時は夢のような心地だったそうだ。彼はそれまで自分で今の専攻を学んでおり、まとまっていなかった知識をその教授の下でまとめ、普通なら4年は務めあげなければ職人に恵まれないというポスドク2年目にしてシドニーにある大学で職を得たというから、本当に順調に学者の道を歩んでいる。
彼と話していて感じたのは、やはり、この国の教育産業の危機感と焦燥だ。聞けば各大学は財政状況が逼迫しており(どうしてそういう経営になってしまっていたのかは不明だが——-多分分中国人学生を当て込みすぎていたのだろうが——)、RMIT大学はメルボルンの真ん中にある学校の建物を売って急場を凌ごうとしているし、グリフィスもこれからリストラが始まるという話が流れており、一部教員はレイオフされている他、本来定年のない国にあって年長者からレイオフを促すようになっていて、それによる科目の再編成も進んでいるという。サザンクロス大も潰れそうだという「まことしやかな噂」が数ヶ月前からあるし、メルボルン大でも大規模リストラが始まっている。要は全土に中国人が来なくなり、財政が干上がっているのだ。そこに豪中関係の悪化が重なり、今後は多くの留学生が他国に流れることになるだろう。もしかすると、うちの大学に無茶苦茶多い中国系教員(うちの学部だけで十二人もいるが、確かによく勉強する民族なので、研究成果の質を問われる学校としても欲しいキャラが多いのだろう)もカットされるかも知れない。
そもそも、今の中国はプライドの膨張期にあり、物質的にも高コスパで膨らんでいるので、豪州に来て勉強する意味が薄れているのだ。もちろん、中国で大学に入れずに、試験のいらない豪州に流れてくるレベルの学生はいるが、それは金蔓としか考えられていないことが段々明らかになりつつあり、留学している本人たちも鼻白み始めている。「政府にATMだと思われている」との自嘲が、その実態を反映してもいる。これまでにも書いてきたが、留学生へのサポート体制は形だけのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。そこにわざわざ来ようという学生は今後かなり減るだろうと思う。国境封鎖のせいで、もう戻る気を無くしている学生は多い。今後は日本留学が流行るという予測すらあるし、最近の学生は卒業したらとっとと帰る者も多くなっていて、僕の知人にもそういうパターンが存在する。
何より、元々の商品が永住ビザであり国籍であるという前提のもとで、それが売れるには、豪州が本国より発展していることが前提になるのだが、20年前と違い、中国は一部豪州より発展してしまった。今では都会は豪州よりもよっぽど便利だし、さまざまな産業のサービスも向上していて、中国の80年代のようなサービス意識の豪州にわざわざ来る理由は見つからなくなってきているのだ。そこに来るにはそれなりの商品や環境がなければならないのに、この国は意識を変えようとしていない。このままではこの国は堕ちていくだけだ。日本人でさえ、現実を知れば、以前ほどこの国に熱をあげる人はいないだろう。
ということは、今後豪州の経済は、人々の危機感の向上や意識の改革がなければ、全体のアロケーションがガラリと変わらざるを得ない状況に追いやられるということだ。教育産業はコンテンツの見直しを迫られるであろうし、ヘタをすると大学が職業訓練ばかりを迫られ、専門学校に近い存在にまで落ち込む可能性もある。さらに、世界のオンライン教育化に伴い、本当に強いコンテンツしか生き残れなくなる可能性もある。最後は学生離れの深刻化を招くだろう。
これについては、この友人も外国人ながら同様の危機感を吐露しているし、「大学が消える」という僕の観点にほぼ同意している。そうなると、例えば今三人の教員に払っている給与で米国の有名大学の先生を呼んでコンテンツを作るという荒技に出たり、果ては豪州の大学が一部を除いて全部潰れる可能性すらあるのだ。僕が以前の文章で示したように、単位を集めて卒業認定を受けるようになったらどうなるだろう。学生は全員挙って特定の先生の授業を買い、単位認定を国際機関から得る仕組みに変わってしまうはずだ。そうなると教員も大サバイバル時代に入ることになる。何しろ、知名度がなければ学生が寄って来なくなるのだ。その流れで行けば、日本の大学教員だって、誰かの科目の採点の為だけの補助要員になる人々が五万と出てくることになる。フィジカルな留学などする者はなくなり、家にいながらオンライン留学で学ぶ学生が世の中に溢れるだろう。職にあぶれる大学教職員は現状の二万四千人レベルでは済まなくなってくるのだ。
現行の豪州の教育産業は、将来を見据えているとは到底思えない。それこそいい気になって外国人の学費を搾り取ろうとしか考えていなかったのだ。今ここで本気になって、とことんサービス機関としてのサービスの質で差別化を図っていかなければ、来年にも潰れる学校が出てきてもおかしくは無い。これは中国人学生が来るとか来ないとかではなく、世界の変化の波の中で、この国が生き残れるかどうかという死活問題にもつながってくるのだ。
人の夢はいつか現実によるシビアなチェックを受けざるを得ない日がやってくる。これまで人々の夢で膨らんでいた教育産業も、5年後10年後には厳しい現実の波が押し寄せることになる。しかし、これは豪州にとって、チャンスにも代わりうる。鉄鉱石、牛肉、ワイン、ロブスターに続き、教育も含めて、居丈高だった態度を改め、価格設定を変えることで、中国一辺倒だった市場を多角化すること、更に「想定上の豪州」を捨て、通貨操作を止め、サービス意識を向上し、あらゆる意味で優しく開けた国になっていくことで、「普通の国」になっていくことが望まれる。普通の国とは、悪い意味ではなく、要は肩の力を抜けということだ。そうすれば、より多くの国との関係が育まれ、産業の質が向上され、さらに強い国へと発展できるだろう。
とかくネガティブに聴こえがちなコロナ騒ぎをうまく利用し、豪州が脱皮をはかってくれることを願ってやまない。僕のような苦い思いをしている留学生を減らすためにも。
ブリスベンの旅は、この国の将来を考えさせられる旅だった。また、こんな意義ある旅ができればと思う。
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