
高中毕业之后,我没有考到父母满意的学校。所以在录取结果颁布的那一天,我的父母马上决定让我去澳洲读大学。他们想让我去黄金海岸的邦德大学就读法学专业,因为他们对这个城市和这所大学的印象不错。他们是比较保守的人,这座城市可以说是少有的几个他们有好感的外国城市之一。
这一缘分源于几年前,他们和一群做着同样生意的商人朋友来到澳洲旅行。陪同的还有总部位于黄金海岸的华人地产公司的人,他们带领我的父母观光了邦德大学的校园和黄金海岸的很多地方。为了行文方便,我就在下文把这一公司叫做H公司吧。现在,H公司在澳洲各地都有分公司,在中国也有几家。他们的主营业务是买卖地产,客人基本上都是中国人。之所以会有这一公司的参与,是因为父母的朋友的子女,同样是邦德大学毕业生并且是H公司创始人的朋友,在中国某大城市开办了一家分公司。我父母在国内的时候,就参加过几次H公司举办的活动。据我粗略的了解,这些活动主要围绕社交还有了解澳洲地产生意开展的。时间长了,我母亲对在澳洲购买房产的愿望越来越强烈。她期待着一种新的生活方式,就是在海外置房,空闲的时候就去到国外享受自然风光。我父母喜欢非常自然的地方。许久之后,他们下定了决心,在黄金海岸购买了一处地皮,准备建房。
这就是为什么他们在得知录取结果的那天,当下立断地让我去就读黄金海岸的邦德大学。很快他们就联系了H公司的人帮我申请大学,还有安排住处。H公司的业务比较广泛,他们相当于中澳之间的桥梁,然后从这一桥梁中获利。申请大学需要准备的资料其实很简单。很多人对此过程并不了解所以就会去拜托中介,一些中介会从中获得非常可观的利润。我认识的一些人是自己准备申请材料的。
这一准备阶段,父母都帮我安排好了。我没有过问太多,因为父母喜欢帮我做决定。就读法学专业也是父母的决定 。虽然我有为此和他们吵过架,但想到如果能成为看起来光鲜靓丽的律师,在虚荣心的作用下我最后还是妥协了。几年前H公司的人带我父母邦德大学观光的时候就为后来的事情埋下伏笔。他们告诉我的父母,这所大学的法学专业非常厉害,非常有名。在中国网络的一些文章里,尤其是由留学中介发布的文章,把邦德大学称为“南半球哈佛”。我对这一言论嗤之以鼻。并不是因为这所大学不好,而是很多留学中介说的话水分都太多。他们很难做到客观。
这一时期我需要做的事情只有准备雅思成绩。我去了一些英语学习机构学习。考到理想的成绩后就拿到了邦德大学的offer。至于住房,是H公司租房部门代理的房屋。这是位于校园附近的一间一居室的公寓。我独自居住,不与人合租。租金并不便宜,比后来在这里认识的很多同学的租金都要高不少。我在这间房子里住了两年多,直到我搬家到其他城市。
机票是父亲买的。行李也是父亲帮忙打包的。他有丰富的打包行李的经验,他知道怎样打包可以防止物品受损并充分利用行李箱的空间。他让我把很多东西都带上,甚至包括台灯笔筒还有电饭煲。我的卧室几乎被掏空,个人物品都带走了。现在想想,当时从中国带来的东西很多东西都没有必要带。我们只要带上最精简的东西就好。

坐飞机那天,下午六点多的时候父亲开车从我去机场。因为他给我打包的两个行李箱严重超重,所以我迫不得已在现场打开了绑了十字捆绑绳行李箱,把塞得严丝合缝的物品拿走一部分,让父母之后寄给我。我坐的是过夜的飞机,大部分时候都在睡觉,八个小时的飞行很快就过去了。上午九点左右到达目的地,布里斯班。接机的人还是H公司的人。他们公司貌似有几个专门跑腿打杂的员工,包括接机,带客户或客户的子女吃喝玩乐,还有带这些小留学生们去银行办卡。虽然这是一家在澳洲的公司,但是做生意的风格非常像老派的中国人。
就这样,我在2019年的时候来到了黄金海岸。
另外,我本人的一些看法或观点可能会有肤浅和片面的地方。或许过了几年后或许会对上述事物有了不同的见解。所以请姑且听之。
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ゴールドコーストで過ごした2年半
①ゴールドコーストとの縁
高校卒業後、両親が満足するような学校に合格できなかった私は、その「理想的でない学校の合格通知」が届いたその日、両親の手でオーストラリアの大学行きを決められてしまった。 両親が選んだのは、ゴールドコーストにあるボンド大学。そこで法律を学べとのお達しが出た。 2人は比較的保守的な考えの持ち主なので、彼らが好感を持つ数少ない外国の都市の一つであるゴールドコーストは、最良の選択肢だったのだと思う。
ゴールドコーストとの縁は、数年前、両親が同じようなビジネスをするビジネスマンの友人らとオーストラリアを旅行したときに始まったらしい。その時、ゴールドコーストに本社を置く中国の不動産会社のスタッフらが同行し、両親をボンド大学のキャンパスやゴールドコーストのあちこちに案内してくれたのだ。以下、便宜上、この会社をH社と呼ぶ。 このH社はオーストラリア全土に支店を持ち、中国にもいくつかの支社を開いている。不動産の売買が主な業務で、顧客は基本的に中国人だけ。この代理店が私のモロモロに関与するきっかけは、私の両親の友人の子供たちが、ボンド大学の卒業生でH社の創業者と繋がっていて、さらに中国の主要都市に同名の子会社を開設していたこと。私の両親は、私がまだ中国にいた頃、その子会社が主催するイベントに何度か参加したことがあったのだ。私のざっとした理解では、これらのイベントの目的は、主に社交とオーストラリアの不動産ビジネスについて知識を得ることが中心だったように思う。その後、両親は何度もイベントに参加していたのか、時が経つにつれて、母の「オーストラリアに不動産を買いたい」という思いは強くなっていったようで、母はいつしか、「海外に家を買い、自由な時間は海外で自然を満喫する」という新しいライフスタイルを望むようになっていた。元々、私の両親はとても自然な場所が好きだったせいもあるのかも知れない。そして、最後には、家を建てることを目的に、なんとゴールドコーストに土地を購入してしまった。
これが、「ダメな大学の合格通知」が届いたその日に、ゴールドコーストのボンド大学に行くように言われた理由なのだと思う。そして、両親はさっさとH社と連絡を取り、入学手続きを始めてしまった。というのも、H社は様々な事業を展開しており、オーストラリアと中国の架け橋として、その業務から利益を得ていて、留学エージェントもそのサービスの一つだったからだ。大学への出願に必要な書類は、実にシンプルなのだけど、多くの人はそのプロセスを理解できないので、こうしたエージェントに依頼し、エージェントによってはそれで大儲けしている。私の知人には、自分で申請書類を作ってしまう人もいるくらいなのだから、本当は自分でできることのはずなのだけど。
というわけで、この準備段階は、両親があらかたやってくれてしまった。 私の両親は、なんでも私に代わって決めてしまうのが好きなので、私もあまり詳しいことは聞かなかった。法律を学ぶことを決めたのも、もちろん両親が決めたこと。その決定について、私も反論はしたものの、結局は見栄えのいい弁護士という職業につきたいという虚栄心に私自身が負けてしまった。でも、両親のその選択は、数年前にすでにネタが仕込まれていたように思う。H社の人が両親をボンド大学に案内してくれたとき、「この大学は法学部で有名で、とても素晴らしい」と言い含めたらしいからだ。中国のインターネット上の記事、特に留学エージェントの記事では、ボンドは「南方のハーバード」と呼んでいる会社すらあった。でも、この類のコメントには、私は失笑を禁じ得ない。ボンド大学が悪いというのではなく、留学エージェントの言うことは、盛りまくりなことが多くて、 客観性を保っている会社はほとんどないからだ。
この時期、受験生である私に必要だったのは、IELTSのスコア対策だけだったので、英語学校にいくつか行って勉強した。しばらく勉強して、それなりの成績を取ったら、その後すぐにボンド大学からオファーが届いた。
住む場所には、キャンパスの近くにある1ベッドルームのフラットを選んだ(跡見さんとはここで出会った)。私は一人暮らしで、フラットをシェアすることはなかった。でも、家賃は決して安くはなく、その後ここで出会った多くの学生たちと比べてもかなり高かったように思う。このアパートには、別の都市に引っ越すまで2年以上住んでいた。
話を出発前に戻すと、私のチケットは父が買ってくれて、荷物の梱包も父がやってくれた。というのも、父は梱包経験が豊富で、内容物の破損を防いで、スーツケースのスペースを最大限に活用する梱包方法を知っているからだ。ランプや鉛筆、炊飯器まで、何でもかんでも持っていくように言われ、その結果、私の寝室はほとんど空っぽになり、身の回りのものはすべてパッキングされてしまった。今思えば、中国から持ってきた多くのものは無用の長物だった。必要最低限のものだけを持っていけば十分、というのが実際のところだったのだ。
フライト当日は、午後6時ごろ、これまた父が私を空港まで送ってくれた。でも、父がパッキングしてくれたスーツケースは、無茶苦茶な重量オーバー。仕方なくスーツケースをもう一度開け、ぎっしり詰まった品々を一部取り出し、残りは後日両親に送ってもらうことにした。
私が乗ったのは夜行便だったので、ほぼほぼ寝ている間に8時間のフライト時間は過ぎてしまい、目的地のブリスベンに到着したのは、午前9時頃だったと思う。
現地に着くと、H社の人が出迎えてくれた。彼らの会社には、飛行機の出迎え、クライアントやその子供を飲食に連れて行く、若い留学生を口座開設のために銀行に連れて行くなど、使い走りのスタッフが何人かいるようだ。オーストラリアに本社を置く会社だが、ビジネスのスタイルは伝統的な中国スタイルな気がした。
こうして、2019年、私はゴールドコーストにやってきたのだった。
さて、これから色々と書いていきますが、私自身の見解や意見は、表面的で一方的なところもあると思います。そしてもしかしたら、数年後には、上記の様々なことに関して、違う意見を持っているかもしれません。なので、とりあえず軽い気持ちでお付き合い頂けると嬉しく思います。ではまた次回!
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