
実際にはまだエピローグ的流れが続いているのだが、一回まとめてみることにする。
昔も書いたが、留学にあたっては、まず二つの入口があった。
一つは、自分で全部やるやり方。学校探し、出願、ビザ、航空券手配、宿泊手配、現地での携帯電話の手配、銀行口座開設など、さまざまなことをしてくれるエージェントもいるのだが、そこをどうやっても自分でやることで学ぶタイプがこれだ。僕はこれだった。
もう一つは、色々なことを聞けると信じて、エージェントを利用するやり方。これが賛否両論な要素を抱えている。僕は学校に言われて2社利用した。実際には似たようなことを既に2回くらい書いているのだが、実際に色々と考えていると、その時期ごとに考え方が熟成してくるので、今日はその辺りも現時点での考えとしてまとめてみたい。
エージェントについての簡単な答えは、タダなら使えだ。タダと言っても、僕らがガッツリ払う学費からキックバック(一割から二割、国によっては三割)があるので、彼らは潤う。なので、どちらも損がないように業界ができているのだ。
ただ、気をつけないといけないのは、エージェントはあくまでもビジネスであり、本当に学校を知っていたり、研究していたりするわけではないということだ。ちょくちょく訪問してくる学校の担当者のおべんちゃらに乗ってしまっている可能性もあるので、実際に学校がどうとかという部分に関しては、自分でしっかりと情報ソースを掴んで調べる必要がある。実際に学校側の「担当者」はあっさり辞めてしまう場合も多い。そして、エージェントも、現地にいない場合は特に、学校の授業などについては資料程度しか知らない。さらに、学校の担当者も単なるサラリーマンであり、単なるセールス担当でしかなく、授業や先生の質を知っているとは限らないのだ(①特にUSCは終始高飛車な上に全部学部に丸投げ、その上、学部がいきなり潰れ、最後は副学長をはじめとする全体で質問から逃げ続けた。②UNSWは順位しか知らなかった。③GUは比較的良心的で、細かく答えてくれたし、キャンパスツアーはマンツーマンで対応してくれた。④CSUは返事が最低1週間は来ない上に、エージェントの評判が悪い。⑤ボンドは担当者が予告もなく辞めた。全てに共通するのは、日本人スタッフがいても全員性格までローカライズされており、アジア的なフォローは期待できない点だ)。少なくとも僕の知っている学校では、入試担当は書類の受付しかしないし、学校のことは順位でしか語れないスタッフが多かった(ボンドの場合は、学校のスタッフは毎学期1科目無料受講できるので、教授内容を分かっているケースも多かった)。肝心な授業のレベルや内容は、自分で先生や学生にアプローチするしかないのだ。そして往々にしてビデオ素材などは何もない。雰囲気をつかみたいなら、昔書いたフリーコースはある程度役に立つ。実際あんなノリだ。また、エージェントも日銭商売なので、書類の転送以外はしてくれない場合もある。なので、エージェントについても、まずは①地元で展開しているのか、次に②地元の卒業生がいるのか(多くは永住権を持つ現地の大学卒の日本人が勤務しているのでまだマシ)、③どこまで生活や履修の問題をカバーしてくれるのか、を比較する必要がある。最低でも現地の学校を卒業していない場合は、サポートなど期待などできようもないし、特に日本でしか展開していないようなエージェントはアンタッチャブルだ。実際にどこまで学校に食い込んでいるか、その辺は要確認ということになる。何百万も払うのだし、そこからキックバックがしっかりと行っているのだから、エージェントについてはしっかりと締め上げることを忘れてはならない。奨学金も、僕は結局全部自分でやった。担当部署との交渉もゴリゴリ自分でやったし、副学長やオンブズマンへの質問も抗議も全部自分でやった。DEEPLありがとう。エージェントは「そこは触れない」とばかりにノータッチだった。どこかで諦められる範囲でないと、エージェントには頼れないし、実際に守ってなどくれないのだ。それはあくまでも、彼らが学校のエージェントであり、僕らのエージェントではない点に集約される。この部分は、将来、自分でエージェント資格を取ることになったら、自分でキャンパスに乗り込んで全部情報を入手して、将来の留学生の手助けをしたい!と思わせるきっかけにもなったくらい、憤懣やる方ない部分でもある。
また、もう一つ心しておきたいのは、豪州にとっての教育業界は「産業」であるという点だ。1980年代頃までは豪州も学費は無料か、べらぼうに安い場所だったが、今では旨味を見つけて三大産業の一つにまで仕立ててしまっている。それも、学費+宿泊費+生活費を全部ひっくるめて、一人当たり1000万は落とさせるボロ儲けの産業だ。そして、日本人はまだ少ない方だが、その先の本当の商品は永住権であり、国籍であるという点は、考えておくべきだろう。卒業して485ビザをとり、2−3年のインターンなどの生活を経て職探しをし、更に永住権に挑戦し、そこから国籍に挑戦する、その中で落とさなければならない「貢献額」は馬鹿にならない(約2000万円)。そして、就職しても、三割は税でとられる(確かに基本医療などは無料になるのだが)ので、それほど貯金もできない。インフラだけ比べたら、日本や中国の都市部には及ばない国なのだ。ちなみに、留学の中身とコスパで言ったら、台湾が一番だ。
それを見越して全部自分でやる、という場合。自分で何でもやると言うのは、英語が拙い場合には確かに苦しいのだが、よく考えたいのは、留学はそこから始まるという点だ。まず、留学をすべきかどうか、そこが問われるのが、この選択ではないかと思う。そこで、この投稿を考えた。
そして、これを読んでいる方に、それよりも何よりも考えて頂きたいのは何か。
まず冷静に考えたいのは、何のために留学するのか、と言う点だ。今から踏み出そうとしているその一歩は、本当に必要なのか。次のいくつかを考えて頂きたい。そこが、エージェントがなんとかというよりも大事だ。
①日本の2−4倍のお金をかけて学ぶ価値が本当に掘り出せるのか。
②その専攻はその国にしかないのか。
③その学校のその専攻は、エッジがあるのか。
④自分でどこまで支弁できるのか。
⑤日本語でわかるのか。英語でそれについていけるのか。日本語にできるのか。
①から考えよう。英語圏の留学は余所者には厳しい(実は「外国」であればどこでも厳しいのかもしれないが、日本は親切だと思う)。学費はその端的な例で、まず1.何倍かになるのが掟だ。しかし、そのコストをかけて学ぶ必要が本当にあるのかを、まずはしっかり考えてほしい。豪州を例にとれば、日本の同様の専攻の大学院で250万ぐらいのものが500万かかり、更に住居費生活費などが年間200万はかかるので、2年で1000万をかけて学位を取ることになる。奨学金が取れればいいが、そうでなければバイトをしても辛い出費だ。更に、日本に帰ってきても、十把一絡げで「豪州の大学」でしかなく、社員が豪州に注目していない限り別に学校名など意識されない。なので、コスパは悪い、
そこで②の検討が必要になる。その専攻は、その場所でしか学べないのか。僕は最初がボンド大学を基準にしていたので、入口を間違えた可能性がある。が、結果から見ると、的を見つけたので、プラスマイナスゼロになっているが、それでも「豪州でしか学べない」ものにはならなかった。既に書いているが、コアラの医学、カンガルーの医学、ワイン醸造、アボリジニ言語学、大西洋文学、熱帯植物学、各分野で豪州をテーマとした分岐くらいしか、この国で学ぶべきものは見つからない。いや、もちろん、マニアックな話をしだすと止まらないので、もっとあるのだろうが、少なくともITは違った。僕の場合は、ここに来なければ確かにACSやAISAなどの存在は知らなかっただろうし、広く興味を持つこともなかっただろうから、少しは元をとっているかも知れない。他にも、関連の先生たちと知り合うことはできた。これは怪我の功名だが、自力でそこに行き着くまでの出費は痛すぎた。
③については、もしその専攻があったとして、その学校でいいのか、と言う点だ。豪州の場合、学科はなんだか豊富に揃っていて、運営されていて、学校も厳しい中で生きているようだが、実際にその学科に良い先生がいて、研究成果を出しているかというとそうでもない。現地の教員に言わせれば、豪州の一部の大学では、アジアの「書き手」的教員を雇用することで論文数を釣り上げ、現地の「書かない」教員の穴を埋めている。それでは学術的価値など上がりようもないし、はっきり言っていく価値などないのだ。
そして、④だ。それを自分でカバーできるのか。親が出してくれて、親も納得済みなら、それも良かろうが、それを自分で稼ぐことを考えてみるべきだ。親に出してもらった留学でいい気になっていては、20年後には自分の馬鹿さを笑うことになる。ボンドなどは、学部でも2−3年で1000万が学費が飛んでいく。それを稼げるのか、そしてその価値が出るのか。自分の身にケミストリーを感じることができるのか。授業はそこまで面白いのか。そこは卒業生などによく聞く必要がある(ビデオ版の第二話にはその辺も入れてあるので、見てほしいのだが、まだ編集する時間のないまま今日に至っている。お恥ずかしい限りだ)。
⑤も問題だ。僕はこれでしこたまいじめられている。日本語でわかるのか。この点は、僕はマナがすごいと思うのだが、彼女は最初「自称あまりわからない」ままでゴールドコーストに乗り込んでいる。そこでやはり若いからだと思うのだが、結構な進歩を遂げ、既に大学を卒業してしまっている。僕が知り合った頃は学部に入る前の最後の英語コースの学期だったので、彼女は順当に勉強を進め、普通の大学生として卒業したわけだ。この点は、僕は彼女には敵わない。当時の同級生などは意外とすんなり卒業しているので、やはり現地にいることは英語の足りない部分で何かしらの助けにはなるようだ。が、それが叶わずにやめちゃった大学生とかも少なくないので、これは本当になんとも言えない。ただ、やはり若い場合には日本語が弱っていくケースが多いので、僕は一回は日本語で関連書籍を読んでみることをおすすめしたいし、更に、英語で受けた内容を日本語で解説できるのか、そこも確認しないといけないと思う。僕が中国語でそれを成し遂げたのは、学び始めて20年くらいしてからのことだった。
大体この辺がクリアできるなら、その先へ行くのは自力で十分だろう。そこにエージェントの介在の隙間はない。また、ビデオでも言っているように、マナの場合はエージェントでも少し嫌な思いをしているので、そこも含んでおくべきだろう。彼女曰く、エージェントについては、「有料のところはやめた方がいい」なのだ。そりゃそうだ。制度以外には語れないエージェントは、ただ書類の処理をするガキの遣いのレベルなのだから。ちなみに、これを読んだエージェント諸氏は、不貞腐れることなく精進してほしい。今のままで、エージェントとか、コンサルタントとか、アドバイザーとかを名乗る資格はあるのか、そこが問われる時代になっているのだ。現状のビジネスを続けることは、単に情弱家庭を食い潰しているに過ぎないことを、確(しか)と心に銘じてほしい。もっと、学生に寄り添うべきだ。
ただ、自分で全部やりたくても、最低限使わざるを得ない場合も存在するので、そこは注意しておきたい。エージェントは、出願書類に公証人代わりに署名することのできる存在であることが多い。そこは便利に使わなければならないし、更には学校から指定されることすらある。僕は最初は全くそれがなく申請してしまったのだが、グリフィスやUSCなどへの出願の時は、学校側からエージェントを紹介された。確かに便利な面はあったが、要はその部分だけ手掛ければざっくりお金が入るボロい商売であることも感じた。もちろん、公証人役場に出かけて、その手続きを自分でやっても悪いことはないが、この場合だけはエージェントというフィルターを使うことが最良の方法になる。もちろん、会社によってはステイ先も探してくれるし、最初のセットアップを手伝ってくれたりもする。この場合は、甘えるのではなく、利用するのだ。学費はどうやっても払わなければならない。それからキックバックでお金が払われているのだが、直接払って全部学校に儲けさせるなら、経済を回した方がいいではないか、ということだ。
なので、やはり大事なのは、真ん中に書いた5条項になる。是非是非熟考の上で決定を下して頂きたい。このブログはそもそもがそのためのものだ。条件を積み上げ、ギリギリまで相手を締め上げて、それでも値打ちがある、と判断するなら、そして国籍も取ろうと考えるなら、留学はアリだ。それこそ太鼓判をついてお勧めする。
さて、個人的な感想として、この「コロナに煽られまくった中年留学」はどうだったのか。
僕は、英語圏に行ったこと自体はすごく面白かったと思っている。もちろん、こんなに混乱した状況になるとは思わずに行ったので、忸怩たる思いがないわけではない。あの時点でグリフィスがカリキュラムを変更していなかったら、おそらくは継続していて、去年の10月には卒業していたのではないだろうか、そのまま485ビザの話を書いていたのではないか、と思う。そのくらい、あの顧客都合を考えないカリキュラムの変更は激しい痛みを伴った。もちろん、コロナのせいにすることもできるのだが、これは僕が明確な苦情を訴えても聞き入れなかった学校に問題があると考える。
その後は、サンシャインコースト大学に騙され、そして今の学校はまあまあいいのだけど、やはり同期と繋がれないのはかなり辛い。他の当時の同級生は結構卒業している。語学留学の子たちは当然帰国し、学位留学の子は豪州を諦めたものもいれば、そのまましっかり卒業して残っている子もいるし、自分の国へ戻った子もいる。でも、日本人でつながっているのは片手ほどしかいない。あとは中国人ばかりなのが不思議なのだが。
そうした中で、今この時点で感じることは、何事も金だなということと、自分に合った場所を探さなければならないなという点だ。あとはもちろん、この状況の正常化を待つしかない。僕が渡航した当時は、まさにコロナが始まろうとしていたタイミングで、特に2回目の渡航後は豪州が国境を閉じてしまい、個人の力では本当にどうしようもなくなってしまった。その後の足掻きはすでに記した通りだ。次はどういう形で行くかわからないが、それまでにまた稼がねばと思う。だが、今は豪ドルが上がり続けている時期に当たるので、いくなら後2年は待ちたい。そうでなければ、コスパが悪すぎる。もし行くならば、次に70円を割り込んだタイミングがチャンスと言える。僕は当時そんなタイミングで、EAPの授業でも「今がチャンスやで」とプレゼンをしているくらいなので、まあ全体的に安く済んだと言えるのだとは思うが、色々買いすぎた。
思い起こせば、同級生や先生とは楽しく過ごしたし、プログラミングを習ったり、先生に会いにブリスベンやキャンベラに行ったり、キャンパスにはもちろん行った。ネットで知り合った同期にも会いに行ったし、ケアンズのリゾートホテルにもタダで泊まった。親が訪ねてきたものの、結局外出制限があり、なかなか楽しめなかったことは残念だった。他には、色々食べたこと、フードパックをもらいに学生ハブや学校に通ったこと、エージェントさんと話したこと、奨学金を順当にゲットしたこと、ビデオを作ったこと、学校のレストランで食べたピザやステーキ、フィッシュアンドチップスが美味しかったこと、雨に沈んだボンド大学の風景に驚いたこと、ブチ切れて喧嘩したチャンセラーアパートやわざわざ8時間かけてサンシャインコーストに出かけまでしたUSCとのやりとり、なぜか2週間目から引きこもっていた留学と、その合間のアパート内のジム通い、そして日常の買い物途中に見たオオトカゲ、いくつか見学に行った不動産、そしてBPPVと皮膚炎で通ったクソ不便なクリニックの医者との会話。楽しかったトラムの旅と、宿題のために出かけたしょぼい本屋のある街。とんでもなく苦労して送った小包や、それ以上に死にそうになったシドニー経由での帰国。どれもが今でも嫌というほど脳裏に焼き付いている。中国に戻ろうとは思わないけど、豪州には戻りたい気持ちがまだある。
そう、1年以上ある都市で過ごすと、結局面白いし、愛着が湧くのだ。不便で仕方なかったけど、これは否定できない。もしもう少し慎ましくやっていたら、まだ向こうにいたのかも知れない。でも今は日本だ。この先は、また少し収入源を厚くして、違う都市に飛び出したい。でもなぜか中国に目は行かない。
僕のストーリー自体はまだまだ先に続いていく。今続けているセキュリティの勉強も、資格をとりあえずいくつか取るまで続けるし、その後も生活の糧になるまで突き詰めたい。その物語の始まりとして、今まさに日本的会計年度の始まりである4月を迎えようとしているのは、何かベタに日本的になってしまっていて、変に笑ってしまうのだが。
さあ、次からは未来の話をしよう。
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