そもそもの語学学習論。

 「何年やっても〇〇語が上達しません」という言葉をよく耳にする。もちろん、これは僕自身にも当てはまることなのだが、その原因を考えたことがあるだろうか。

 先日のIELTS口頭試問で出された問題の中に、少しそのことを考えさせられるものがあったので、整理の意味も兼ねて、ちょっと書いてみることにした。

 現代社会の前提として提示しておかなければならないのは、「語学学習という行為は既に相当歪んでいる」という点だ。これは恐らく様々な試験の科目として設定されてしまったことが影響しているのではないか。試験科目となることは、常に「ある範囲内の単語や文法事項を覚えること」が義務化されることを意味する。となれば、使おうが使うまいが、実感があろうがあるまいが、それは必須なのだ。その結果、テストが終わればほぼ忘れるような、膨らみのない「言語の知識」が一時的にストレージに仕舞われる事になり、更にそれは短期間で揮発してしまう。

 語学学習とはそもそもが「思いを相手の心に刺すための道具の実践演習」であり、ある意味「心理戦闘訓練」にも通ずるものだ。その意味で、試験勉強というのは、毒薬や弾薬を持っていない者が、一生懸命吹き矢や拳銃を磨くのと同じ事になる。その武器は使わなければ錆びてしまい、弾薬はマガジンの中で錆びたり湿気たりしてしまい、用を足すことができなくなる。言ってしまえば試験の為の語学学習というのはマスターベーションよりも虚無に近い、体を擦りきらせる「自傷行為」なのだ。時間の無駄とも言える。

 ちなみに、二段落目に書いたIELTSの設問は、「英語ができることはキャリアアップする事につながると思いますか」というものだった。僕は「あんまり関係ない。英語よりも独自のアイデアが大事」という答えをしたのだが、実際、本質的な部分で出世に語学は重要ではないし(●天とかみたいな会社は別かも)、リーダーになるのにも語学は重要ではなかろう。お金があれば通訳を雇えばいいだけのことだ。

 ではなぜ語学、特に英語が重視されるのか。

 国際通用語になったのはこの百年ほどの積み重ねであり、重視される根本的理由にはなり得ない。実際の理由は「英米が強かったから」に尽きる。かつて最新のテクノロジーやナレッジは全て英米からもたらされたと言っても過言ではなかった。そして要はすべての国が、戦争で負けたとか色々理由はあれどここ数十年は米国に学ばなければならない状態にあった。

 実際のところ、前世紀はもちろん、今世紀に入っても「英米崇拝」は止まらなかった。ここ数年、少々倍々ゲームのような勢いが落ちているとは言え、米国がGDPだって国力だって世界一なことは変わらず、優勢な事には変わりない。しかし、それが百年近くも続けば、それは彼らが他の言葉を学ぶ必要がなくなることを意味する。みんなして「教えてください」と来るのだから、「聞きたかったら英語で話せ」という権利は自ずと英米側にある。オーストラリアでも外国語はあまり重視されていないように感じるのは、実際に他の国が英語にひれ伏しているからだ。

 もちろん、その地位は米国だけがもたらしたものではない。かつての、そして現在もゆるい形ではあれ、英国の「元植民仲間国家」の多さは、少しは減っているが、支配階級の言葉として英語を広めている。コモンウェルスの各国は最大の時代で70以上(今は53)あったし、その影響は大きい。日本が中国から漢字を学んだ頃、漢字は支配階級の言語として幅を利かせたように、宗主国の言葉というのは強いのだ。日本の米国崇拝と英語支配は、占領下の文化や技術の伝播など双方からの必要性で意識下に組み込まれ、今でもコンプレックスになっている。これは韓国でも同じ原理が働いているように思う。

 中国は、毛沢東の時代から100年マラソンでアメリカを潰すことを考えてはいたものの、外国語の学習自体への重要性はかなり昔から持っていて、ロシアと組んでいた頃の子供などは小さい頃から一括してロシア語を習わされたりしていた。その後、ニクソン訪中あたりから毛沢東も含めて民間で英語ブームに火がつき、いつしか大学英語4級・6級を持っていなければ学位記がもらえないような状況になり、全国の学校で英語一色になっていった経緯がある。一部には別の言葉を学ぶ伝統も残っているが、基本的に英語の各種試験の学校が花盛りだ。その状況は貿易摩擦の中で米国をボロクソに罵りながらもなぜか変わっていない。

 そうした中での悩みというのは共通していて、「覚えられない」「上手くならない」というものがある。なぜなのだろうか。

 答えは既に上に書いてしまったのだが、その鍵は「アイデア」「思い」なのだ。「この言語を使って伝えたい」「この言語を使わなければ表現できない」内容が心の中になければ、どんないい教材を使っても無駄なのだ。だから教材メーカーばかりが儲かり、学習者は生涯をかけて無駄遣いをし続ける事になる。

 語学学習の初期には、様々な問題に出会い、そして吸収効率の悪さに苦しむ。僕は中国語については幸い無茶苦茶な吸収効率に恵まれ、苦労は感じなかったが、英語には四苦八苦した覚えが・・・というか今まで何十年もそれが続いているのだから情けない。だが、ここでの問題は全て脳の問題になる。

 脳がすべてを支配する人体の機能において、聴覚で音を捉え、それを積層コンデンサのように言語音に分類し、それを再び各国語の音韻系統へと振り分け、意味を付け、文法構造を理解し、全体の意味を理解する、そうした工程の中で、一番最初の言語音分類ができるようになるまでには、本当に多くの言語音を聞かなければならない。しかし、学び初めの頃にはそれは無理な話であり、さればそれを模倣するのも勢い難しい話となる。模倣には別の指令系統で筋肉を動かし、調音点を弄らなくてはならない。だがこれは逆上がりと同じように、コツがわからなければできない。そこで人は難しいと感じるのである。

 実際には、そこで好奇心という酵素が働き、吸収効率を高めるのだが、それは誰にでも作れるものではない。

 だが、時として人は感情のプレッシャーにより怒りや悲しみを持ち、その重みを伝えたいタイミングに出会うことがある。これは一番の酵素になり、吸収が進むことになる。これが最も原始的なアイデアなのだが、これを見つけるのが人によっては難しいのである。

 この言語で伝えたいことがある。この言語でなければ伝えられないことがある。この言葉で伝えなければ意味がない。そんな思いをお持ちだろうか。

 これがなければ、あなたの全身は反応しない。反応したタイミングをうまく生かさなければ、語学の上達はありえない。特に、年齢の上がった我々は、その「アイデア」を見つけることが大事になる。若い時は弾みでできても、歳を食えばそんなことすら難しくなるのだ。

 今僕は誰にも話していないミッションを自らに課し、その為に新たな世界に飛び込んで勉強する為に英語を学んでいる。おそらく、これはある種のアイデアとして作用してくれていると考えている。なぜなら、僕のやりたいことは、より多くの英語圏の人々と考えをシェアする必要があるからだ。日本語や中国語でなら、既にフリーハンドでそれができる。今の僕には、英語がどうしても必要なのだ。

 だから、僕には次の言語に挑むタイミングが来ている、自分だけのアイデアが芽を吹きつつある。そう感じている。それ故に、自らの脳を苛み、この年齢で更に次の段階に挑むのである。そして、語学学習とは、そういうものであるべきだと心から思うのである。

 もう一度改めて問いたい。あなたの語学学習行為に、アイデアはそなわっているだろうか。

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