
以前、学校のランキングについて投稿したことがある。そこでは、日本に帰ってくれば、どの大学でもみんな「オーストラリアの大学」であり、変にこだわっても仕方がないという趣旨のものだった。
日本人的にはそうなのだが、ローカルではどうなのか。実際に疑問を投げかけられたので、ローカルの卒業生らにも機会があるごとに話を聞いてみた。
結果から言うと、現地の人でも温度差があった。ゆるくお気楽なAussieの先生は、「どこでも同じよー。その時にやりたいことのできる学校に行ったし、仕事もしているし(男・卒業生)」と言うもので、一理あると感じた。その他にももちろん、「子供(女学生)はやっぱりG8とかを目指してるわよ。そこ以外は眼中にない感じ」と言うものもある。豪州には43の大学があり、それぞれに結構特色があったり優秀だったりするので、個人的にはそんなに差はないと感じるのだが、やはりブランド志向というのはどこの国にでもあるのだなと感じさせる。ただ、それが通ってしまうと、教育の質を担保するAQFという基準は無意味になってしまうと思うのだが、どうもその辺は利益優先の産業では無視されているようだ。これは、現代医学の世界に名医とか言われる人物がいるのと同様に滑稽な構図に感じる。同じ基準で揃えているのに、名門とかいうのはそもそもがおかしい。
そして、留学フェアに行くと、今度は留学生の親たちが、メルボルン大学に長蛇の列をなしている。この場合は、「何を学ぶ」という本来的な目的よりも、「どこで学ぶ」と言う、物を買うのと同じロジックが働いている様に思うし、どんな職業につくかわからないから、とりあえず保険のために有名大に行かせようと言うことなのかも、と邪推もしつつ様子を見ていた。もちろん、自分ができなかったことを、子供にやらせようとしているのかも知れない。さらに、そんな親と話すと、大体差別意識の塊であることが多い。権威と話す時と、そうでない時の目の輝きが変わるのだ。そういうあからさまな現金主義の親たちを沢山見てくると、同世代ながらもマウント試合をしそうなスネ夫のママの陰を感じてしまい、日本は進歩してねえなと感じざるを得ない。要はLVの店頭に列をなす買い物客のようにしか感じられないではないか。
これは、学生本人にとっては、どうなのだろうか。後から考えれば失敗な場合もあるし、それが好きでたまらないという分野に行けない可能性もあり、幸福度は変わってくるのではないだろうか。下手の横好きでも、やりたいことをやった方が、自己責任観念の育成という意味でも、個人に成長にはポジティブに働くと考えているからだ。
だが、好きな分野というのは、そうそう容易に見つかる物ではなく、それが学校制度の矛盾でもある。僕は昔も書いたと思うが、「特産物」以外は豪州で学ぶ意味はないと考えているのだが、特産物がある学校がランクが上とは限らないのが現状で、こうした状況下では、全員の欲求を満たすことはかなり難しい。「特産物」というのは、「その国でしか学べないもの」だ。例えば、各国の文学や芸術、特有の動植物、特産品に関するものだ。豪州なら、現地の文学部や、アボリジナル文学や言語学、カンガルーやコアラの医学、ワイナリー、森林管理などがそれにあたるだろう。それ以外のITだったり経済だったりは、いわゆる名物学部以外では、どこでやっても同じだし、安さに下限のある豪州で学ぶ意義はあまりない。そもそもそれらの専攻が名物にもなっていないからだ。
ちなみに今回、僕は米国への再転校を決めたのだが、それは奇しくもランキングのせいだった。CSUは、例えばワイナリー専攻とか、反テロ専攻(警察大学院)とか、クライブ・ハミルトン(著書『目に見えぬ侵略』)とか、名物学科や人物がまあまあいる学校だなのだが、いかんせんランクが低い。それも、今年になって600-800位だったランクが1000位以下にガタ落ちし、こちらも非常にショックを受けた。世界ランキングに登録されている学校は1799だけだが(だったら半分以下に落ちたことになる)、世界の大学は23000あるはずなので、まだまあまあな位置には食い込んでいるかも知れないが、僕は学校の向上心が見えないアクションに非常に不満だったので、教授会の面々に同送メールを送りつけたのだ。が、唯一来たメールにも、その件に関する返事は全くなかった。そもそもは「休学申請が通らなかったので、学校も教授会メンバーを辞めますが、最後に質問させて欲しい。なぜランクがガタ落ちしたことについて何も対策が発表されないのですか」という中身だったのだが、誰一人として返事はよこさなかった。その前にも学部長にメールをしていたのだが、他の話には答えても、そこだけはスルーだった。そして、会議資料で見た海外のパートナー大学も同様に弱々だった。これでは総合的な教育の質は担保されないし、向上心という意味で学生と心は通わない。
グリフィスは確か世界で200-250位に入っていて、ボンドに至っては旧来の600-800位から200-250位にまで順位を上げてきている。これは弱小の意地というか、マーケティングにも跳ね返る非常に効果的なアプローチだ。ボンドなどはこれからも順位を上げていくのだろうが、いかんせん僕の場合は在学当時のキャンペーンで悪手を打たれてからは、客として非常に悪印象を持つことになってしまった。もしかすると、これは私立のフレキシブルさを失いつつある段階なのかも知れない。もしボンドまでがこのまま豪州名物の杓子定規な容れ物になってしまうなら、豪州には留学先としての面白みなど何もなくなってしまうのではないか。土地的な心地よさは否定しないが。
また、僕の場合、特にここまで色々学校を見てきてしまうと、学校の面白さは一定期間あれば判断できてしまう。そういう意味で、僕は、オーストラリアの教育について、今ではかなり冷めた目で見る様になっている。ボンド、グリフィス、クソUSC、CSUを経験し、チラ見ではANUやQUTなどをこの目で見てきたものとして、変な豪州愛ではなく、学生の未来を考えた観察眼を養えたとでもいうべきだろう。この温度感は、今後展開する留学エージェントの事業でも、ただのビジネスとしてではなく、学習経験と人生設計に寄り添ったカウンセリングをするのに役立つものと考えている。
名物を抱えていて、尚且つ努力を怠らない、カスタマーフレンドリーな学校、そんな学校でなければ、学生もクリエティブになりようがないし、人気も出ないし、世界を変えようもない。もちろん、出願する意味など持ちようがない。と、思うのだが、皆さんはどう思われるだろうか。
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