Agileな生き方を実践せよ。

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 アジャイルという言葉は、ソフトウェア業界でよく使われるようになっている(柔軟で効率的なシステム開発によって、迅速なアウトカム提供を目指すソフトウェア開発手法・・・というかそういう考え)。要は、開発途中で小出しにして行って、柔軟にシステム内容に変更を加えていくやり方だが、僕は人生自体がそうあるべきだと考えている。起業論で言えば「エフェクチュエーション」か。

 試してみて、ダメなら少しずつ方向を変えて試してみて、自分というクライアントが満足できる一本の道を切り拓く。実際にはそんな生き方をこれまでして来たので、「こうじゃなきゃいけない」という考えには、どの年齢の時にも馴染むことはできなかった。

 実際にそれでも並な暮らしはしてきたし、不思議と行き詰まりはなかった。

 他の人から見たらイミフな生き方も、それぞれには筋書きがあり、それぞれにあるべき結論に向かって進んでいくものなので、本人は何か答えはあるのだろうと信じて進むしかない。身内や他人のいう「何やってんだお前は」というのは、単に理解力の不足をアピールする愚かな言葉でしかなく、本人からして見れば「生まれも育ちも違うあんたには言われたくない」という事になる訳で、僕自身も、流されるままに、目の前に転がってきたお仕事や人生の任務をこなしては今日に至っている。

 そんな状況下で、最近いきがかりで教師を始めた。「まあ、やれないことはないだろう」と「それ系」のプラットフォームに資料を載せたら、三週間後くらいに中国語を学びたいという生徒がついた。そこから二週間も立たないうちに、今度は元々知っている友人が日本語を学ぶために入門してきた。そして、また今度は別のルートの知り合いが日本語の学生になった。要は始めろという合図だったのかなと解釈して、サイトも作って記録をしていくことにもした。にしても、三人を教えるのは楽ではない。お金をもらってはいるが、初めてということもあり、ほぼボランティアな感じだ。もしかすると、まだまだ増えるかも知れないのだが、様子を見ながら決めていこうと思う。

 さて、そのうちの「元々知っている友人」とは、以前英語コースで同級だった若い学生で、日本語の他にも、様々な人生相談にものる事になった。学校に腐るほど行った僕も、偶には人の役に立つことがあるようで、勉強嫌いながらも、学校での勉強の進め方の相談にのる事になったのだ。

 その彼は、ここでは仮にA君としておくが、要は大陸育ちのボンボンで、豪州では比較的地味に真面目に勉強をしているのだが、どうも最近行き詰まりを感じでいるらしく、転校を考えているようだ。以前同じクラスで期末試験に落ちた時も、当時色々と聞いてきたもので、要は近くにおっさんがいないから、格好な相談相手になるという事なのだろう。

 言うには、やっている授業がどうにも肌に合わず、専攻を替えたいのだという。そして、今の学校にはその専攻がないので、別の学校に転学したいと言ってきた。実家は確か何か小売系で、ビジネス学科にいたはずだから、要は商売向きじゃないと感じたのかも知れない。

 あ、それって僕と同じパターン?というか、また僕が学校から睨まれるパターン?前に女子学生が僕と同じタイミングで学校を辞めた時、学校の担当者は僕が唆したと誤解していたのだが、今回もそんなパターンになりそうだ。しかし、その時の担当職員はその後サクッと学校を辞めてしまい、今は豪州政府の役人になっているのだから、結局は状況をねじ曲げる力を元々持っていなかったと言うことで、まるで僕が何かしたような言われよう(「跡見に連れて行かれた」と言うのを別のスタッフが聞いていた)はお門違いだ。当時の言われようは全てその担当者の身勝手な推測に過ぎず、業績上がらずに辞めたほうが余計おかしいだろうと言うことになると思うのだが、その担当者を受け入れた豪州政府の人事担当はそんな奴だとは知る由もないのだろう。いい面の皮だ。

 さて、A君に対しては、結婚と同じで、合わない相手と一緒にいることは互いの時間の無駄なので、僕は「人生には限りがあるので、その時々で魂と肉体の喜ぶ決断をしなさい」と諭し、様々な方法論を伝授した。また、「なんか向こうの学校の締め切りが過ぎてるんだよなあ」と言うので、僕もサイトを見て、「ここに締め切り過ぎたらケースバイケースで受け入れるってかいてあるぞ。今学生がいなくて困ってるから、大丈夫だ」とアドバイス、結局学校側の対応は好感触だったらしい。彼はその後、僕の言う通り学校にアクセスし、どうも受け付けてもらえたらしい。そして、こちらの場合は基準を満たせばオファーは出る仕組みなので、恐らく大丈夫なのだろう。ましてやこの時期、学校は喉から手が出るほど学生が欲しいはずだ。受け入れないはずもあるまい。

 ここで何が言いたいかというと、要は人生には定型などなく、また、個人個人の環境や状況は毎日変化しており、我々はその中で最良と思われる(もしくは一番面白そうな)選択肢を選んで進むしかないと言うことだ。そこにアドバイスを貰うかは本人次第、アドバイスを貰っても受け入れるかも本人次第、そして、結果は本人以外受け取れないのだ。もちろん、結果は自己責任であり、どんな結末が待っていようと、本人が受け入れるしかない。

 ちなみに、当時僕と一緒に転校した女子学生は、見事に失敗の一途を辿った。それもそのはず、あろうことか豪州国境がロックダウンしている最中に帰国してしまい、日本の実家で生活はゆるゆるに、更に授業では宿題すら出さずにズルズルになってしまったのだ。かと思えばインスタには毎日のようにカフェを回る写真が上がっていた。これでは遠く離れた場所からの外国語での勉強などできようもない。その後、専攻をまた替えたようだが、そこからは音信不通なので、現状は知る由もない。チャンスは、準備している人に訪れるのではなく、単にやることをこなしている人に訪れるのだ。やることをしていなければ、目の前にチャンスがあっても、それに気づくことはできない。これは、ネットに出回るギャグと同じだ。

女性「神様、運命の人に出会わせて下さい」

神様「出会わせてやったけどよ、『いいお友達でいましょう』って言って拒否ったのお前だろ」

 僕の人生は軌道修正ばかりで混沌とした中にあり、会社勤めの人の感覚とはずれてきている。昔は小さいながらも上場企業に勤めていたこともあったが、その時味わった組織のしがらみと創業者のアクの強さにうんざりしてしまい、フリーランスな業態を選んだような気もする。勤めている人は、失業が怖いが、勤めていないと、定職につくのが怖くなるのだ。これがいいことかどうかはわからないが、そういう運命なのだと認めてしまえば、楽しみ方はいくらでもある。逆に、つまらぬ顰みに倣って混沌に穴を穿つことは、自らの命を縮めることにもなるので、敢えてそれだけはしないでおこうと考えている。

 僕の同級生たちにも、是非自分だけの道を開いて欲しいものだ。人生にアジャイルを認めていない人間が、アジャイルな社会を作ろうなんて、盾と矛よりもきついジョークでしかないではないか。

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