
前回も記したが、この1年、楽しい瞬間と嫌な瞬間のどちらが多かったかと言われれば、恐らく嫌な瞬間の方が多かっただろう。オーナー本位、ある意味において白人本位の国であり、我々はアジア人の過客という一番不利な立場での留学だった。
もちろん、そこでは同じ矛盾を味わってきた先輩らが居て、手を差し伸べてくれる人もいた。それは素直に嬉しかったし、逆に現地人や現地に染まった外国人のつまらなさを感じさせたからだ。料理は美味くないし、医療システムも不便だし、通販も遅い。そこで勝つには恐らく規則を全部頭に入れておく必要があったのかも知れないとすら思わされている。
ボンドは中退状態になった。職員も中国系以外は冷たかった。先生にはいい人もいた。グリフィスも似たようなもので、面倒見がいい先生は必ずと言っていいほど中国人だった。現地人は上っ面だけだった。USCは教員(5名程)は好感が持てたし、コメントは役に立ったが、スタッフは上から下まで、最初から最後まで居丈高でカスだった。これから行く学校も、スタッフは恐ろしく対応がバラバラだが(誤解なきよう言っておくと、速い部門遅い部門が極端に分かれている感触で、部署によっては迅速な回答がもらえるが、そうでない部門は一週間以上塩漬けになる)、先生はまあまあな感触で、実際のところはこれから味わうしかない(が、正直言って図書館のリソースは学校が大きければ大きいほど良いようで、グリフィスでなら出てきても、こちらでは出てこないリソースがあったりする。これは通常なら一校しか知らない学生には味わえない微妙な辛さかも知れない)。
だが、一つ言えるのは、こうしたニガ虫捕獲のプロセスは経験値となって跳ね返ることが確実だということだ。全ての場面で味わってきた怒りにも似た感情は、今後の文化理解には役立つであろうし、他の国に行ってもそうそう意外さを覚えることはなく、ある程度の諦観を以て臨めるだろう。ただ一点、今更のように言えそうなのは、遅れていると思われがちな中国のサービス業の体制は、もしかすると欧米のそれよりも何倍も優れているということだ。これはアジアを見直すきっかけにもなったので、この人生においてはある程度意味のある旅だったのかも知れない。
新たな挑戦はすでに始まっている。また、片付いていない問題もある。ブログ的には、ここ数回で豪州分の清算を済ませ、再来週くらいからは、新たな授業の内容や、完全リモートでの勉強の様子をお伝えしたい。
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