豪州教育産業の真価–ある論考の示唆

Photo by Catarina Sousa on Pexels.com

 中国のサイト「知乎(知っとるか)」に、面白い文章が載っていた。前々回書いた所謂「論考」だ。

 ここは要は質問サイトなのだが、ここでのお題は、「イギリスの大学院にいく価値はあるのか」だ。

 これに答えた「April学姐(エープリル姉さん)」の答えは、「ぶっちゃけイギリスのマスターはバッタもん」だった。これを読んで、僕の脳裏を掠めたのは豪州でとるマスターだった。感触がほぼほぼ同じなのだ。

 このエープリル姉さんは、現職の留学カウンセラーで、これまでの5年間で5000人のカウンセリングをしたと言う。文章は最後で「自分次第」「計画性が重要」、つまり学校はサービスプラットフォームであり、どう利用するかで結果は変わるもので、バッタもんにもなるし、利用のしようによっては帰国後の武器にもなるという結論で結んでいる。

 つまり、ただ行くだけじゃバッタもんにしかならないし、なれない、という忠告になっているのだ。

 そこで気になったのは、「修士学位の機能性」と言う項目だ。エープリル姉さんによれば、修士を段階的な学位としてしっかりとポジショニングしているのは中国・ロシア・ドイツくらいのもの(多分日本も入るとは思うのだが・跡見註)で、米・加・英・香港・星・豪などでは、明確な概念ではないと言い、「補助的意味合いの学位」と説明している。つまり、博士(研究者志望)ではなく、さっさと仕事に就きたい場合に、マスターに進んで学部で学んだ知識を補完したり、博士に行きたいけどレベルが足りないことを自覚している場合に、過渡的なステージとしてマスターに進む、と言うような具合だというのだ。

 確かに、豪州でもマスターにはコースワーク型(Master)と研究型(MPhil)がある。これは英国と変わらない。そして、このコースワークは確かに就職用と言うことができるようだ。僕はこの点を無視していて、アジアのマスターと同様に捉えていたので、少々勘が狂った部分がある(この先、予算が許せばドクターに進むつもりではあるが、実際の感覚として英語も知識も基礎なく論文を書くのは辛いので、僕自身はコースワークで良かったとは思っている)。あえて簡単に違いを語るなら、欧米のマスター、それもコースワーク型は実践的、研究型はアジアのそれに近いと言う感じだろうか。

 さて、彼女がここでバッタもんと言っているのには、いくつかの原因がある。一つは上に述べた「学位・コース」に関する認識の違いで、もしも中国のそれと比べれば内容の緩さを感じる点だ。そして、次には社会背景の違いを挙げている。

 一昔前は、留学とは特殊なものだった。お金とチャンス、親の開けた考えが揃わなければ実現できなかった。しかし、今は違う。中国がバブったおかげで出ていく学生が増え、結果として世界中の教育が目の色を変えて産業化し、留学生受け入れが単なる金儲けの手段となってしまったのだ。この状況は欧米、豪州の学費を見ればわかる。米国などでは他州の学生の学費は地元の学生より高く、留学生はもっと高い。奨学金で安くできるところもあるが、州が限られる。豪州は、まず学部では3倍、院では1.5倍以上が普通だ。これは現地の学生の学費が下がっても変化しない。僕は奨学金をもらったが、それでも現地の学生にの安さは及ばなかった。もちろん、これは卒業後一定の収入を取るようになると税のような形でぼ回収が始まるのが前提だが、収入が上がらなかった場合には返納義務は免除されるし、海外へ出たらわからない。その為、豪州にとってこの外人がばら撒く現ナマ収入はデカいのだ。豪州について言えば、語学目的以外の日本人は数えるくらいしか行かないが、山のようにくる永住目的の中国人学生からたんまりと学費を貰った学校は膨れ上がることができた。しかし今ではコロナでその化けの皮が剥がされ、学校はリストラの嵐だ。

 そんなわけで、中国という市場は各国共に狙う御馳走だった。前にも書いたように、永住権と国籍を抱き合わせにすれば必ず一人頭1000万円は転がり込むボロいビジネスだった。産業規模三位とか吹聴してもいた。しかし、今ではコロナでそうも行かない。豪州の大学は基本的に試験などないので、英語さえなんとかなれば誰でも入れると言っていい中(中国人には少々違う要求があるようだが、それはまた別の機会に書きたい)、「永住権向け専攻」は入れ食い状態だった。しかし、今は違う。全世界でオンライン化が進み、また、渡航可能な国もある中で、その選択肢は世界に分散したのだ。加えて、豪中関係の悪化が響いて、今では方向転換する学生が後を絶たない。日本の状況は不明だが、はっきり言って日本でやった方がいい専攻もいっぱいあるので、今後は英語中毒者を除いてはわざわざ渡豪する学生も減るのではないだろうか。学費を安くするならば、もしかしたら可能性はあるが(もちろん海外留学という文字に酔いやすい家庭は今なお存在するし、当時は学費も今より安く円高だったから注目されたが)、根本的に渡航を伴う学習に意味があるのかわからない。それに学費は毎年遠慮なく上げられている。

 また、エープリル姉さんが上げるのは、学校の意味合いだ。欧米の学校はサービスプラットフォームであり、学費の代わりに学位をくれる所であり、アジアの「ありがたい教えを頂く所」とは違う(同様に、「落とされる」こともあまりない)。いかに先生とリソースを振り回したかで結果が決まるのだ。これができずに欧米の学校を否定することは、自分が如何に消極的だったかを知らしめることに等しい。教員はさまざまな優秀な学校を出た専門的人材であることが殆どで、知識はその辺に転がっており、ハードもしっかりと作り込まれている。そこをどう使うかは、学生次第、というわけだ。僕は・・・多分色々使った方だと思うのだが。まあGPA6.25なら良かった方だろう(今まででと比較すれば低い方ではあるものの)。あんまり内容は覚えていないのだが。

 ちなみに、僕は学習を続けるので、これらの場所を全否定こそしないが、そもそもが単なる趣味の延長なので、評価軸には違いが出てくる。人生を賭けるほどの情熱ではなく、趣味の延長で留学しているので、完全にコスパ中心の思考になることからそれは必然だ。そのため、こういう「金額に見合うか」が基準になり、学生にも学校にも厳しめの評価をしているし、つけるべきケチはとことんつける。しかし、今後は僕だけでなく、世界の学生らがそういう視線を向けることになる。いくら見栄えを素晴らしくしようとしても、例え僕が贔屓目の評価をして、この弱小ブログで誉めたとしても、その結果は変わらない。今後は世界というマーケットの中で、厳しい消費者の目にさまざまなメリット・デメリットが晒され、世界中の学校とコストを比較されることになるからだ。

 そんなシビアになる環境の中で、ランキング順位をあげることには一生懸命な割には研究が苦手でアジア系教員に頼りっぱなしの豪州の大学が本来的意味合いで生き残れるのか。僕はここ数年でパラダイムシフトが起こり、市場が総崩れになるのではないかと考えている。要は本当に個性的で価値のある学校しか生き残れなくなるのだ。もちろん、その中で周辺業界(エージェントやマンションやホームステイや交通機関やレストランやなんやかんや)にも大きな衝撃が走り、息絶えるところも多く出てくるだろう。つまりはこの国全体の真価が問われる時がやってくるのだ。教育産業は、去年の段階で大規模リストラが起こったことからも、豪州経済への衝撃の度合いを見るリトマス試験紙として極めて分かりやすい反応を見せることになるだろう。その意味で、大学の動きというのは目の離せない場所になるに違いない。

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