教員を訪ねよ。

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 先日再度学校に出かけてきた。先学期の授業を担当した教員とアポが取れたからだ。

 12時の約束で出かけ、結局2時間も話してきた。

 本当はお別れのメールを書いていたのだが、返事をしているうちに、一回会った方がいいやということになり、会いに出かけたのだ。初めて入る講義棟は新鮮だった。ここを使わずにやめることになるのは、確かにもったいなさも覚える。が、よくよく考えると、教室で講義を受けていた時代、例えば学部、修士、博士の時に、教室で授業を受けたことで良かったことは思い出せない。時間は余計にかかるし、質問もその場ですることが優先された。更に、メールもあまり普及していない時代(2000〜2009頃・特に年寄りの先生)で、対面となると本当にサシでないと意味がない時代にあった。更に、今回のように200人詰めての講義(ワークショップは30人とかのようだが)とかになると、授業に出るだけで体力を奪われ、後は帰宅部になりかねないので、無駄金(コーヒー飲んだりとか)が飛んでいくだけで、コスパは下がると思われる。

 今回は、最後の埋め合わせの為にアポをとり、話をすることになったのだが、最初からノリノリの話になり、気がついたら昼飯無視で2時間も経っていた。最初は「1200〜1215のスロットが空いているから、そこなら大丈夫」と言われたので、偉くケチだなと思ってオフィスに赴いたのだが、蓋を開けてみれば非常にフレンドリーな先生で助かった。

 話したのは、授業をどうしたらいいかという問題や、パワポの内容に関して、そしてオンラインになってからの両者の関係の変化、先生の家庭の話など、多岐に渡った。ネットになってから、質問は何百通、授業内容も工夫が必要で、全く研究の時間が取れないなど、悩みも色々あるようだった。特にこの国の先生は、半分がサービス業であり、学生へのサポートがその業務の大半を占めるそうで、こうして話してみると本当に苦労をしている様子が伝わってきた。これは多分教室で話していてもわからないことだったと思う。かといって、全ての学生がこうして話をしにくるわけでもなかろう。恐らく、授業が終わればそのまま「さようなら」な学生が大半なのではないだろうか。もちろん、ボンドでは少人数なので、全員が顔を覚えている可能性も高く、教師との関係も違うのだろうが、グリフィスはそうもいかない。その辺は教員としてもジレンマではあるまいか。

 年齢的に学生よりも教員の方に近いことからも、話は尽きなかった。この辺は、わざわざお金をかけてきた甲斐があったかなと思える。元社会人としては、学生との交流よりも、こういう交流の方が楽しかったりするのだ。教員全員と話すことはできないにせよ、やはりどこでも行動あるのみだということはどこの国でも変わらない。ブリスベン、サンシャインコースト、キャンベラ、ケアンズ、ゴールドコーストと、どこにでも出かけて、この国の先輩である先生らと話すことは、他の学生に比べれば積極的だったかも知れないが、もう少し早期から積極的に実行しておくべきだったかなと感じている。

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