最近、様々な学校で、クラス分けに際して、このPASSWORDテストが導入されているようだ。形式はほぼIELTSを踏襲しているので、感覚としてはEAPのクラス分けのためという位置づけで用いるのに相応しいといえる。
毎回出る問題は学生ごとに違うようなのだが、平均的な学力をみるには良いテストのようで、今回は最初のクラス分けからの進歩を見るためといった感覚なのだろう。最初のテストの結果は知らされていないので、さっぱり比較のしようがないのだが、今回は読み書き共に6.5と、IELTSでも同じくらいの換算のできる点数だったので、成果は少々出ているということだと思う。このスコアが7以上になれば、文句なくそのまま大学院に行ける、ということになると思う。
グリフィスの第一歩も、やはりこのパスワードテストだった。選ばれているモジュールが違ったのか、違う形式の問題が出てきていたが、ノリは同じだった。結果はやはり似たようなものだった。
が、実際に授業を聞くとそんなことは全く望めない。講師の話のまあ速いこと。色々なビデオがYOUTUBEに出ているので試して頂ければお分かり頂けると思うのだが、ぬるぬるつながった音(リエゾンの嵐)を繰り出してくるアメリカ式の英語の授業には歯が立たない。なんだか、「英語のテスト」の世界と実際の俗社会では流儀は違うようだ。ラジオ体操をしていたら、急にリングに放り出された、そんな感覚になるのではないだろうか。
同期ではないが、今ディプロマコースに通っている中国人も、わからない、資料を読むのも苦痛、と、毎日苦しんでいる。それを見ると、やっぱりこうしたテストはただの目盛りでしかなく、本当に聞いてわかってアウトプットができるようになるには、一定の時間と「溜め」が必要になることがわかる。7年いるという中国人の話す言葉を聞いていても、意外と不安にさせられることがあるので、よほどの効率と順応性がなければ、高速習得は難しいということだろう。そこですぐできますよとか言っているスピードラーニングとか、アルクとか、そうした教材が全部ペテンに見えてくる。オンライン英会話も眉唾だ(八社くらい利用済)。そこには英語と相性の良い、できるべくしてできた人が数人いるのであって、全員が同様の吸収速度を持っているわけではないことを隠した上での売り文句であって、MBA同様、痛いところを撫ぜる為の口上に過ぎないのだ。
実感として、我々が必要とするのは塩だ。傷口にはあえて塩をすり込んでいかなければ、この状況は改善しない。地道に塩をすり込んでいかなければ、細胞は楽な方へと流れようとしてしまう。毎日の勉強、その「塩」を擦り込み続けることこそが王道なのだ。もちろん、好奇心を産み続ける環境と、マインドの調整も忘れてはいけない。興味のないものは、脳のチャンネルを素通りしてしまうからだ。でなければ、そんなものに時間をかけても無駄というものだ。


また、最近考えているのは、逆の意味で様々な点数にも注目すべきという点だ。英語でも、何かの専攻でも同じことで、理想的な点数がどうしても出ない時は、おそらく脳が反応していないか、実際に向いていない、もしくは進むべき方向ではないのだ。であれば、そこにかける精力は程々に、同時に可能性を模索したほうがよい。即座に方向転換を図っていかなければ、ロスタイムが増えるばかりだ。老い先短い中年には向かない。
中国語では、かなりの無駄遣いもしたが、確かに同じようなプロセスを踏んできている。単にそのプロセスが苦痛でなかっただけのことだ。要は、脳細胞が相手を認識して馴染むには、それ相応の時間が必要と言うことなのだ。その意味で、腐る程買った教材も少しずつは生きているということになる。もちろん読んでいないものもたくさんある。そう考えると、僕の今現在のこの感覚は、恐らく高校2年生位の時の中国語学習の感覚だろうか。入ってくる外国語で大脳が麻痺し、あの当時は2時間が限度だった。でも、それはいつの間にか氷解し、大体のことは聞き取れるようになって行った。今ではもちろんほぼ障害はない。何十年もやっていれば当然なのだが、既に神経に刷り込まれている。
英語で同様な神経反射が起こるようになるには、あとどのくらいの時間が必要なのだろうか。それはもちろんテストの成績にも反映されてくるのだろうが・・・
まだまだいい塩梅とは行かないないようだ。
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