
9月から続いたEAPも、今日の期末試験を以て終了。読解、作文、リスニングと、数えきれない練習課題を与えられ、毎日こなす中で正味13週間を終えた。
本来は14週間のはずなのだが、前後や中間の無駄を差っ引くと、12-13週と数えておくのが妥当だと思われる。中間試験後は、なんだかリズムがゆっくりになり、いきなり特別講義やイベントが入るようになったおかげで、集中した緊張感のある授業進行でなくなってしまい、とても残念に感じた。
確かに技術的に少しは伸びたと思うが、かと言ってそれが実感できるほどは伸びていないと思う。実感できるのは、作文の構成について、その作法がわかったことくらいか。おそらく、推測でしかないが、後10週位費やして、更に評定基準を上げていかないと、ハッキリとした効果は感じられないように思う。例えばそれは前日の新出単語を使った作文であったり、作文の宿題化だ。ファクトベースでいえば、今回の勉強では単語・文法理解レベルでは不努力のせいもあり伸びた感じはない。問題文がしっかり翻訳できるくらいでないと、わかったとは言えない。そこまでいけなかったのは、単純に不努力のせいなので、少し勉強の仕方を考えないといけないと考えている。
コース全体的に言えば、先生方は皆フレンドリーで優しく、指導も非常に遠慮気味だったように感じる。個人的には、例えば間違った回答や誤答とされる選択肢について「どうして間違いなのか」をとことん指導して欲しかった面がある。結局、自分で合点の行くまで勉強することは非常に難しく、特に日本語と対照にできない点において、染み込む勉強ができていないのが残念だ。
若かったらそうでもないかも知れないが、思考様式がかなり固まりつつある年齢になると、自分を説得しなければ先には進めない。そこで作文について、まるで僕が翻訳を指導するように「直すだけ」では滲みてこないのだ。結果として、その表現がどうして「美しい」と感じられ、何が問題の根本にあるのか、そうした点がぼやけたまま四ヶ月のマラソンが終わってしまった。
テストの結果は多分IELTSと同じくらいのタイミングにならないとシステムに反映されないのでわからないが、合格はできているはずとしても、何故そこで間違えて点数が削られたのかについては、おそらく永久に闇の中になってしまいそうだ。
あまり賑やかな学生がおらず、静かな空気の中で勉強ができたのは幸いだったように感じる。学外で会ったのはほんの一部の学生だけだったが、逆に出歩かないという初期設定は堅持できたのと、予算管理の必要から、最低限の外出に止めることができたのは幸いだった。それでも出ていくものは出て行った。
学生時代(と言っても母校が9校位あるので、ずっと学生のようなものだが)、それも20歳位の頃にも留学はしているが、その時は良く考えたら言葉がある程度できていて、奨学金もあり、そんなに苦労もしなかった記憶がある。その後の10年にわたる大学院留学もほぼ全額奨学金で、それなりに稼ぎ出していたのと、物価が安い場所だったので、やっぱり苦労しなかった。だが今回、こうして物価も言語もまるっきりスケール感の違う場所に全額自腹で来てみると、それも奨学金なしで来ると、当時の親の苦労も少しは理解できた感がある。そんな中、「あそこ遊びいく、ここ遊びいく」「あれ美味しい、これ美味しい」と呑気に言える現役学生を見ると、今の時代の学生は幸せだなとも思うし、「親の苦労も知らずに」と、一気に鼻白むのを覚えるのだが、わかんない奴は一生わかんないんだろうなと、それ以上の交流は諦めた。
来年には環境が全く変わり、かなり必死で追いつかないとついていけない場所に場所を移すことになる。それが吉と出るか、凶と出るかはまだ不明だ。だが、空気の流れが滑らかなので、恐らくこうした流れは間違ってはいないのだろうと思う。その流れを乱さないように、そして落伍しないように、仕事と勉強を両立させていきたい。
引き続きEAP2に進むクラスメートにも、是非努力して夢を掴んで欲しいものである。
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